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Life|楽しんでいること、とは何か

楽しんでものごとをする」ということには、いくつかの意味が込められているように僕は思っています。

一番大きいのは「熱中するほど楽しい」という意味での集中力や生産力、クオリティの向上などが生み出す要因としての「楽しんで」です。

もう一つは、オリンピックなどのスポーツ選手が使う言葉の「楽しむ」。これは、勝ち負けを超えて競技を「楽しむ」ことが自己ベストにつながり、ひいては結果につながることになるという考え方かなと、僕は思っています。

一方で「楽しむ」という言葉だけをとらえると、「楽しければ勝ち負けは関係ない」「楽しければプロダクトが良くなくてもいい」という解釈もできます。これは、これまであげた2つの「楽しむ」とは、まったく別の目的だよなと思います。

もちろん先の2つの「楽しむ」は、プロと呼ばれる職業をもった人たちが自らの質やプロダクトの質を高めるために使うもので、後者はどちらかというと趣味的なものの考え方なのだろうと思っていて、その両方があっていいとも思います。とうぜん、趣味であっても、プロ的な「楽しみ」を持っている人もいます。

「楽しむ」ことで周りをよくする

僕自身は、あまり「楽しむ」ということになじみがなくて、どちらかというと「仕事は辛いもの、その対価でお金をもらっている」という思考が強かったので、仕事が重なったり、〆切間際になって追われているときに「あー、仕事をしている」と実感するタイプです。

だから、追いつめられると周りに目がいかなくなるし、暴飲暴食もする、睡眠時間も減る。楽しいというよりは、正常な感覚が麻痺しているような感覚で、それがまた刹那的で、麻薬的な快楽性があったのかもしれません。

だから「仕事を楽しむ」という感覚はあまり持ち合わせていないのです。

しかし、今朝のClubuhouseのラジオ江六前で「ネガティブな意見をどう伝えるか」というテーマで話をしたときに、聞いてくださっていたFujiさんの感想メッセージから「楽しむ」とうことの意味が少し違って感じることができました。

僕自身、「ネガティブなことを愛をもって伝える」ことはお互いの理解のために必要だと思っているのですが、その伝え方は難しいということを話していました。それに対するFujiさんからのメッセージです。

ネガティヴなコミュニケーションにならないように、そして敢えて苦言を伝えるために、全ては自分のコンディション次第なので自分の心身を充実したものにしようと常に心がけてます。全ては何を目的としてコミュするかでしょうからね☺️

たしかに、「なんであんな言葉を使ってしまったんだろう」「あそこまで言う必要はなかったな」と思ってしまう場面はしょっちゅうあります。それは仕事や友人関係の場面でもそうですし、家庭内でも同じです。

そういったときに僕は、「言葉遣いを気を付けよう」「相手の立場を考えると選ぶ言葉が違うだろうから想像力を働かせよう」と反省することはあっても、自分自身の精神状態に原因があること考えることはほとんどありませんでした。

たしかに、自分の心がうまくいっていないときほど、言葉が悪くなる。周りへの接し方に棘ができてします。それによって、まわりの雰囲気や環境がわるくなって、仕事がしづらくなったり、暮らしづらかったりしています。

そう考えると「楽しんでものごとをする」ということは、自分自身のパフォーマンスを保つためだけではなくて、それよりも周りの環境をよくすることで自分のパフォーマンス向上させる、相乗効果的意味合いが強いのかもしれないですよね。

プロスポーツの選手たちも「まずは楽しんできます!」といっているのも、自分のパフォーマンスだけでなく、その大会全体のパフォーマンスを上げるために話していたのかもしれません。

人とのコミュニケーションの質を上げるために、自分のメンタルヘルスを整えておく。まずは、自分の機嫌をよくする習慣をつけることが大事なのかもしれません。

僕の場合は、おいしいものを食べることかなぁ。

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明日は「Art」です。

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