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『思考の整理学』外山滋比古

★読書の意図

大学生のときからいつか読もうと思ったまま今日まで本棚で待機命令を強いた申し訳なさがまず第一に来る。そして、社会人3年目となり自分で仕事を動かすスキルと経験がぽつぽつ貯まり始めたことを機に、それらをもっと大きなビジネスや新しいキャラクターブランディングに繋げる思考の型みたいなものを学ぶことがもう一つの意図になる。

★思考は手間暇をかけて育むもの

思考を生み出すプロセスはビール作りに似ている。まず思考するにも考えるための素材が必要となる。ビールなら麦に相当する。この素材選びは思考する人の立場によって様々で、卒業論文を書く大学生なら興味関心のある分野の本、キャラビズに関わる自分なら漫画・アニメや他社事例を調べることで発想の種となるものを見つける。

素材が決まったら、次は素材に混ぜ合わせるヒントやアイデアを探す。麦だけでビールが生まれないように、アルコールに変化させるきっかけとなる酵素に当たるものも必要だ。これは異質なところから持ってくることが望ましい。近親交配の禁止と同じく、同質のものを掛け合わせて小さくまとまるのではなく、異質なものを混ぜることで大きく育てる。

素材とアイデアが決まれば、あとは時間を置く。麦と酵素がアルコールに変化するにも一定の時間が必要なように、素材とアイデアを心の中で温めておくことで新しい着想が生まれる。ただ、思考をどれくらい寝かせれば実りが得られるのか決まっていない点に、ビール作りとは違う難しさがある。

★思考を忘れられる場所で思考が生まれる

素材とアイデアを寝かせる時間は必要だが、その間ずっと考え続けることは宜しくない。ヨーロッパの諺で「見つめる鍋は煮えない」と言うことに同じく、一つのことを考え続けて視野狭窄になるのではなく、他のことも同時並行で考えながら心の中で温めておくことが大切。「ほど良く」忘れる努力が必要である。

忘れるということにも自然に忘れる「忘却」と意識的に忘れる「整理」がある。「忘却」の代表格は寝ることである。「三上」という中国古来の言葉があり、良い思考が生まれる場所として「馬上・枕上・厠上」を上げている。このうち「枕上(寝起き)」とあるように、昨晩の思い詰めた思考が寝ることで自然に整理(忘却)されて思考を生み出す手助けとなるのである。一方、「整理」は思考を忘れられることなら何でもいい。散歩はうってつけである。アリストテレスは自身が創設した学校「リュケイオン」で弟子達に歩きながら講義したことから、その弟子達は「逍遥学派」と呼ばれている。どちらにせよ、思考を強制せず、心身ともにリラックスした状態で考えることが大事。

★個性とは創造を手助けする触媒のようなもの

何かを新しく生み出すとき、個性はその触媒として重要である。個性自体が強烈で独創的であることは必要条件ではない。19世紀まで詩歌の創作は個性の表現と考えられていたが、20世紀になってイギリスの詩人であるT・S・エリオットは「芸術の発達は不断の自己犠牲であり、不断の個性の消滅である」とする「インパーソナル・セオリー(没個性論)」を唱えている。また、日本古来の詩歌である「俳句」は、主観の生の表出を嫌い、感情が花鳥風月に仮託して表現されたものが作品として優れていると評価される。

 つまり、創作における個性の役割とは、個性を表現することでなく、知識や事象を結びつけて新しいものが生まれる手助けをすることである。その個性が立ち会わなければ決して結びつかないようなものを、結びつけ生み出す点において、"個性的"なのである。

★歩きながら考える

仕事をしながら、普通の生活をしながら考えたことを、整理して、新しい思考を生み出すことが大切。現実には二つの種類があり、目で見て触れる物理的現実、頭の中で作り上げられる思考的現実がある。前者を「第一次的現実」、後者を「第二次的現実」とすると、前者は生活や仕事を通した生身の人間との触れ合いであり、後者は読書や研究、敷居を下げればテレビ/スマホなどに該当する。

多くの人間(特に学生や研究者)は新しいものを生み出すに当たり前者の現実を軽んじる傾向がある。たしかに「第二次的現実」に思考の素材やアイデアは多く存在するが、同時に既存の枠の中にまとめあげられたものも多い。「第一次的現実」から生まれる知恵は既存の概念やルールに収まらず扱いづらいこともあるが、既存の延長線上ではない新しいビジネスや研究を生み出す種となり得る。汗の匂いのする思考をどんどん生み出し、単なる着想に終わらせず、整理・触媒して大きく育むことが大切。

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