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なぜcoten radioが中国の皇帝になって、ゆる言語学ラジオがランジングしているのか?

僕はポッドキャストのヘビーリスナーである。
通勤の往復1時間もあれば、けっこうな量のポッドキャストを視聴できる。
ちょうどポッドキャストを聞き始めた時に始まったのが、coten radioである。
coten radioとは、株式会社coten代表深井龍之介さんを中心に歴史のあんなことやこんなことを非学術的に語る番組である。
これが面白かった。
何が面白かったかというと、全く歴史の専門家でもない人たちがささっと目を通した歴史の一般書(を中心に)をまとめたものを何となく構造的にまとめてくれているところ。
僕は歴史が大好物なので一抹の不安を抱えながらも、サピエンス全史を500倍薄めたような当時流行りの歴史アジテーションを見事に踏襲したまとめサイト的な感覚で聞いていた。
割と最新の歴史解釈を教えてくれたり、深井さんとヤンヤンさんと樋口さんの掛け合いが面白かった。
僕の思うcoten radioの魅力とは、歴史に詳しい素人が歴史ずぶ素人の樋口さんになんとか(疑似)メタ的な視点で歴史を見せてあげようと四苦八苦する様が面白かった。
というか、樋口さんの歴史ずぶ素人ながら鋭いツッコミが炸裂したときが痛快だった。
それこそ、歴史を嗜む程度の僕から見ても、「そんな視点があったのか」とメタ歴史思考を感じさせてくれていた。

要するにcoten radioの魅力とは、歴史好きな意識高い系社長が掻い摘んだ歴史情報をわかりやすくエビデンスなくまとめたものを堂々と披露し、歴史ずぶ素人の樋口さんがそこで湧いた疑問で激しく鍔迫り合いするというメタ的に見ると非常に危ういからこそメタ面白く感じるというメタメタな代物であった。

しかし、coten radioのフォーマットは見事成功した。
ポッドキャスト界の時代の寵児となったのだ。
これは単純に時代の流行に乗っていたからだ。
①歴史のまとめサイト化現象
銃・鉄・病原菌的サピエンス全史的な横断的網羅的エビデンス危うい歴史観が大流行しており、それが日本の学校教育の純粋暗記歴史という負の意識を吹き飛ばしていた
②お勉強系YouTuber
YouTuberによる素人が臆することなく専門家を自称し学術的な何やらを披露できる下地ができていた
③自己啓発・ビジネス書のマンネリ化
自己啓発・ビジネス書界隈で美術や歴史や筋トレのような一見関係の薄そうな微妙な距離にあるカテゴリの情報商材化が流行っていた

以上を踏まえると、coten radioのフォーマット選択はとてつもない慧眼であったように思う。
しかもそれを深井さん大好きな株式会社の事業として行ったわけだ。
霊夢がうだうだ喋る個人チャンネルではなく、資本主義経済逆張りマーケティングを標榜する意識高い系株式会社が行ったわけなのだ。

しかし、僕の愛するcoten radioは変わっていった。
メディアにより祭り上げられたのだ。
するとどうであろう?
今までの三人の調子の良い掛け合いはなくなり、深井さんの中国皇帝化が顕著になった。
深井さんがメディアに祭り上げられたことで変に権威が付いてしまい、以前のように残りのメンバーの鋭いツッコミが見られなくなった。
何だか悪い意味での緊張感、壁を感じるようになってしまった。これはファクトである。
そして深井さんの良さであったエビデンスがない独自解釈を堂々と語る姿に、メディアにより権威づけされたことによる「責任」の影がつきまとうようになった。
これにより、掛け合いのトーンが減衰し、不用意なことが言いづらくなったために言い訳が多くなり、ひいては番組の『熱』が冷めてきてしまった。
挙げ句、メディアからの喜び組(だいたい同じメンバー)が押し寄せ、佞言を垂れて深井さんを煽てあげ、後出しジャンケン的に「俺はcoten radioがライジングするのはわかっていた」とか「cotenの事業は新しい資本主義」みたいなことを述べたあとに自著の宣伝をして帰っていくゲストコーナーまで始まってしまった。
これじゃあまるで、中国王朝末期の皇帝に群がる宦官じゃないか!
実力無き権威に驕り潰えた王朝は腐るほどあるのに・・・

僕はcoten radioのフォーマットは、個人的・素人的感覚でしか扱えない代物であると思う。
古に流行ったまとめサイトのように、素人がエビデンスもなく知識のひけらかし合いをしている2ちゃんねるからの切り抜きレベルのメディア感が適切であると思う。
なぜならメタ的なツッコミが生じてしまえば途端に瓦解するからだ。
「素人の兄ちゃんがおもろうまとめてくれとるやんけ」くらいがちょうど良かったのだ。

そこで「ゆる言語学ラジオ」ですよ。
ものの1年でポッドキャストやYou Tubeを斡旋した高学歴コンビによる無駄なエリートの脳味噌消費番組だ。
ゆる言語学ラジオは、自分たちで「coten radioから学んだ」といっている通り、見事なcoten radioフォーマットのアップデート版である。
coten radioは先程述べた通り、専門家でない人間が面白おかしく歴史を語っている自慰的な様が面白かった。
これに権威やメディアが付くことで、「お前、どこで自慰しとんねん!」という空気が生じてしまうのだ。
ゆる言語学ラジオはこの権威付けを絶妙に回避しながらライジング(怒られそう)している。
ゆる言語学ラジオの堀元さん、水野さんはエリート感を出しながらも「おふざけ」は忘れないし、権威を感じさせる調子に乗る行為は絶対にしない。
常に自らをメタ認知(二人とも重症なメタモン)しながら自虐ネタを投下している。
故に二人もキャラクター像を維持したまま、メディアとも程よい付き合いをしつつ、難解なテーマを長時間&大河ドラマ的な話数で投じているがなぜか聞いてしまう。
ゆる言語学ラジオは、例えるなら劉備玄徳だろう。
ひたすら逃げ、長いものに巻かれ、それでも期待を裏切り、しかし調子には乗らず、自らの弱さを嘆き、それでいて大胆で、そしてなぜか人々が集まる。
こう考えると、劉備玄徳こそメタ認知能力が高かったのではないだろうか?
そりゃ趙雲もせっかく助けた子供投げ飛ばされたら感服するよね。

今回の記事は決してcoten radioディスりでもなく、ゆる言語学ラジオ上げではない。
素人がオリジナルコンテンツをネットの海に流すことがいとも簡単にできるようになった時代だからこそ生まれた新たなフォーマットの構造を歴史思考で考察してみたのだ。
これはポッドキャスト、You Tube、昔のブログにも言えることだが、その界隈に留まることでしか矛盾を感じさせずにシンプルに楽しませることができるフォーマットである。
しかし、このフォーマットはマネタイズと相性が悪いのだ。
なんせ素人の歌ってみたとそう変わらないので。
よって非戦略的にマネタイズに走ると一瞬で瓦解する。
ゆる言語学ラジオの上手さとは、この目先のマネタイズや承認欲求に走らないように見せて着実に匍匐前進で進んでいるところである。

coten radioについては、番組の面白さを取りたいのであれば以前のような3人の掛け合いに回帰すべきだ。
今のようなヒエラルキー感が見えない、樋口さんが生き生きと突拍子もない質問を遠慮なく突きつけられる関係性を。
また宦官を切り捨てる覚悟を。
しかし、これをビジネスだと割り切れば今の路線は成功の道である。
結局、ズルズルと飽きられてしまうのが盛者必衰の世の理、そうなる前に小手先で勝負するよりはメディアに乗っている今こそ電撃戦を仕掛けるべきだろう。
あとヤンヤンさんにもっと優しくしてやってくれ〜

以上、普段聴いているポッドキャストをメタ認知した結果浮かんだ妄言でした。
ちなみに一番聞いているのは、DOMMUNE RADIOPEDIAでの宮台さんの知的な罵詈雑言です。

※当記事の横文字の意味は未だによくわかっていませんが、ライジングしているらしいので使ってみました。参考文献リストはありません。

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