大航海時代の始まりから産業革命へ(備忘録)

イギリスで最初の産業革命が起きた理由は自分なりに納得したので、次は大航海時代にポルトガル・スペインが活躍したのになぜイギリスが覇権を握ることになったのか、その流れについて整理してみたいと思いました。以下、筆者独自の視点・仮説を含んでいることにご注意ください。


経済(交易)の中心の変遷のおさらい
・14世紀、イスラムとモンゴルとを結ぶ経済でヴェネツィア・ジェノヴァが栄えていた
・15世紀、大航海時代はリスボン(ポルトガル)が栄えた
・16世紀、アントウェルペン(ネーデルラント)が商品取引の中心となる
・17世紀、アムステルダム(ネーデルラント)が海上貿易の半分を支配する(株式会社、近代初のバブル、証券取引等々)
・18〜19世紀、ロンドンに中心が移る(国債・保険・ポンド紙幣、自由貿易、大植民地の支配)


以下、筆者の考察です

①「物作り」より「交易」の方が儲かる
現代に繋がる、物作り<商業<投資、のヒエラルキーが既に存在してたんですね。商業は経済圏の接点が一番儲かります。その経済圏が移るに連れて商業都市が移って行きます。モンゴル帝国によりイスラムとモンゴルが結びついてヴェネツィア・ジェノヴァ商人が得をしていた時代から、大航海時代に入って大西洋を経由する交易が膨らんで交易の重心が移ったということです。

②海を支配した方が勝つ(制海権)
スペイン・ポルトガルがトルデシリャス条約で世界を二分していたにも関わらず、オランダ・イギリスは海の公共性を主張して公海とみなし海の経済を確保します。ところがイギリスは私掠船(国王公認の海賊)にスペインの船を襲わせ最終的に戦争になって海上覇権をもぎとります(アルマダ海戦)。まるでヤクザですね。

③スペインの自滅(どれが大きく影響したかはわかりません)
・戦争続きで財政悪化
・経済能力の高いユダヤ人追放
・新大陸からの大量の銀流入によりインフレ進行し国内産業が衰退
・悪税(アルカバラ。取引のたびに徴収する消費税)による民衆の窮乏


途中ですがとりあえずここまで

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