鶏の解体体験

2年前に鶏をさばく解体のワークショップに参加した。知人の農家さんが農業と養鶏をされている。鶏は1年経つと産卵率が下がるので廃鶏となる。親鳥と呼ばれるものがそれにあたる。

その農家さんは自分たちが大切に育てた鶏の命を業者の方に頼み、命の最期を自分で見届けることができない。それは無責任で悲しいことだと思い、解体を体験してもらうワークショップという形で命の最期を見届けることにされた。

正直、自分が鶏の解体を経験するなんて思ってもみなかった。見るだけにしておこうと思っていたが、農家さんの命に対する熱い思いを聞いて、私も体験をしてみたいと思い挑んだ。そこでは命の最期は頸動脈を切って失血死をさせるというものだった。

まず、農家さんが実際にやってみせてくれる。みているのが辛かったと同時に、美味しい鶏肉を笑顔でいただけるのは、こうやって命の最期を仕事でしてくれる人がいることに感謝の気持ちが湧いた。

実際にしてみると鶏は動くし、頸動脈もどこかがよくわからない。心臓の鼓動がはっきりと聞こえてきて胸がいっぱいになった。少し泣きそうにもなった。改めて命をいただくということはこういうことかと身をもって体験した。またやりたいとは胸をはって言えないけれど、人生経験として一度は体験してみてほしい。

命を最期を終えた後は羽をむしり、内臓を出す。内臓ってこんな風になっているのかと冷静に観察。卵を産む前だとお腹の中に卵がある。卵ができていく過程をみることができるなんて貴重な機会をもらえたことに感謝。丸鶏の解体はしたことがあるのでできる。そうやって解体をしていきそれを食べる時間がやってきた。

鶏の美味しさに命の有り難さが相乗効果となりすごく美味しかった。現代は加工品やスーパーでの買い物が多く命の導線が見えない。野菜を育てるところ、魚を捌くところなど日々食べているものがどうやってどのように私達の食卓へ並んでいるかを考えるきっかけとなってほしい。「いただきます」という言葉は命をいただくこと。

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