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死産からの日々②


火葬を終えてから月命日まで

火葬を終えて1週間はただ寝るか泣くか食べるかの日々でした。
家からも出ず、というかフラフラで殆ど出られずでした。退院直後に棺に入れるぬいぐるみなどの買い出しに出かけられた自分が信じられないくらい。何というか全ての体力、気力を注いだっていうことだったのかなと今振り返ると思います。そこから徐々に起き上がったりして、家事をしたりしました。たまに娘のためのお花を近所に買いにいったり、病院に行くくらいでほぼ半径1Km圏内での生活。
1度だけ大学時代からの大好きな友人に会いましたが話している最中に泣いてしまいました。でも友人が娘のためにお花を買ってくれたことが嬉しかったです。あと旦那と私が親しくしている方が家に来てくれて日本酒を飲みましたが人生で一番酷い酔い方をしてお酒を飲んでこんなに悲しい思いをしたのは初めてでした。

その後、不妊治療の転院先の病院や不育症の検査をしたりしました。そうしているうちに年が明け、産休が終わりに近づいていきました。

私は本当に復帰できるのだろうかという不安と娘を家に置いていくことが本当に辛くて復帰前日は大泣きしました。
でも義父の命日と娘の命日は1日違い。だからきっと義父が娘を空で一緒にみてくれていると思うことにしました。

昔、義父が幼い夫に話しかけているテープを聞いたことがあるのですが、音だけでも凄く可愛がっていたのが伝わってきました。きっと娘のことも生きていたら同じように可愛がってくれたはず。だから私がいつか抱いてあげるときまでは娘はおじいちゃんにお願いしようと思いました。

産休明けの職場復帰

そして産休から復職をしました。私は会社から家までとても近いのですが、それでも毎日色んな人にすれ違うし、色々なものが目に入ってきます。

まず子供をみて大きくなってよかったねと思うこともあれば、辛いと思うこともあったり、本当は娘にこんなときがあったんじゃないかと思います。
マタニティマークや妊婦を目にしたときは思わず目を逸らすことが多いです。芸能人で妊娠出産報道とかあった人を広告とかニュースでみるのも心がざわつきます。

仕事中は最近は減ってきましたが、娘を産んだ時間や娘を入院してたときの天候、退院した時の雨、火葬した日の快晴の空など色んなことを思い出し泣くこともあります。月命日の付近はやっぱり毎月辛いです。

また育休明けの人達が話す出産の時の話はトラウマで私が休んでいるときのことを知らないから仕方ないけど、辛すぎて早退しました。

今も毎日が辛く仕事をしていて、とても前の自分には戻れないと思いながらこのまま仕事を続けるのか…楽しいこともなく、辛い日々が続いています。


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