カンボジア旅の記録~長編~
2023/12/25~2024/1/6までカンボジアへ旅をしてきました✈
超タイトスケジュールでしたが、
みなさまのおかげで非常に充実した旅となりました^^
大学時代、神楽坂にある「バイヨン」というお店でアルバイトをしていました。
シェフと、常連さんだったキムとソッキム、
今カンボジアで仕事をしている大学時代の親友の彩花、
カンボジアの共通点で仲良くなった会社の大先輩の高野さんとカンボジア
行きますか~!という話になり、本当に行くことになりました(笑)
みんな行きの飛行機はバラバラで、現地でタイミング良いとき合流することに👀
2023/12/25 台湾→プノンペン 「深夜の空港滞在8時間」
台湾経由の便で向かい、8時間台北空港に滞在しました。
しばらく友だちは「パソコン」のみ。
8時間ずっとパソコンとにらめっこしてました(笑)
12/26 13:30にプノンペン空港に到着。空港に着くとキムが出迎えてくれて、なんとSIMカードまで渡してくれました。神様?!
空港ついてすぐに、カンボジアを知るうえで外せない歴史。
「ポルポト政権時代」の歴史を知りにトゥールスレンへ。
2023/12/26 プノンペン 「カンボジアの悲しい歴史」
カンボジア首都プノンペンにある「トゥールスレン」という場所へ行ってきました。当時S21と呼ばれた収容所です。
カンボジアでは、ポルポトという独裁者が政権を握っていた1975-79年の間に人口の4分の1(推定150-300万人)もの人々が処刑・飢餓・過労によって亡くなりました。当時は爆弾は貴重な武器であったため、虐殺は農機具で殺されていました。
政府機関、裁判所、病院、学校、寺院などは封鎖され、知識人はほとんど殺されました。これがのちのカンボジアの発展や生き残る人々の心にどれだけ深い傷跡をのこしたことか…
ーなぜそのような悲劇が起こったのか?
ひとりの男「ポルポト」が描く理想的な社会をつくるために行ったことがはじまりでした。原始時代に戻れば格差のない平等な社会がつくれるという考えをもとに、格差を作り出す可能性のあるものは一人残らず消すことが国のためになると本気で考えていました。
ポルポトは、比較的裕福な家庭で生まれ、奨学金でフランスパリに留学しました。しかし、勉強があまり得意でなかったポルポトは、3回試験に落ち奨学金も打ち切られ、カンボジアへ帰国することに。
留学先で「共産主義」の考え方に出逢い、勉強そっちのけでどっぷり「共産主義」に染まっていたため帰国後は、共産主義革命運動をしておりました。
(ポルポトは、何度も挫折を味わい続けたため落ちこぼれが生まれない共産主義の思想に魅力を感じました)
1950年代、第二次世界大戦が終わったころのカンボジアは王様が国を治めており、ポルポトは帰国後王様を倒すグループに入りました。すると、王様は革命を目指すグループを弾圧しポルポトはベトナムや中国へ逃亡します。
そこで貧しい農民と出会い、貧しくとも幸せに暮らしている方々をみて、「原始時代に戻ろう。そうすればみな幸せになる」と思い始めました。
※本来の共産主義は、働いて得た資本や財産をみんなで共有する平等な社会体制のことです。しかしポルポトは、貨幣制度の廃止、私服や宗教の禁止など資産や自由までもなくそうとしました。
1960年代には、ベトナム戦争がはじまり、北はソ連、南はアメリカ
1972年には北ベトナムvs南ベトナム+アメリカの戦争真っ最中でした。
アメリカは、北から南への物資を運ぶルートをつぶそうとカンボジアやラオスのルートとなる地に空爆をしました。(第二次世界大戦時に、日本に落とした爆弾の量の3倍といわれています)
当時の政権をに握っていたシハヌークはベトナムを支援しているとして、アメリカはシハヌークを追放。アメリカはロンノル将軍を支援していましたが、1973年にベトナム戦争が終わり、アメリカは撤退。
アメリカの支援がなくなり弱まったロンノル政権を、ポルポト軍(クメールルージュ軍)はすかさず攻撃し、1975年4月1日ロンノル政権を倒しました。
空爆やロンノル政権による暴力に苦しんでいた人たちは、これでやっとで戦争のない平和な日常がやってくる…そう思い、アメリカに勝利したという喜びと共にポルポト軍(クメールルージュ軍)を迎え入れました。
ーしかし、ここからが地獄の始まりとなりました。
毛沢東の考えをもとにポルポトは、原始共産主義という思想を掲げ、
旧ロンノル軍の兵士を抹殺し、格差をもたらす可能性がある人々をすべて虐殺しました。
文明を排除してみな平等に暮らすことを理想としていたため、
都市部に住んでいた人たちを農村に移住させて農民にさせました。
文明を排除したとしても知識人がいると新たに文明が生まれかねないため、知識を持った人たちを次々と処刑しました。医者や教師、留学生や賢そうな人たち(眼鏡をかけている人や手が柔らかい人)を抹消しようとしました。
惨いことにポルポトは、字も読めず、洗脳しやすい子どもを兵隊にして、
子どもたちに処刑や残酷なことをやらせました。
何の罪もない多くの方が、S21トゥールスレン収容所に入れられ、
ひどい拷問や尋問をうけ、最後にはキリングフィールドで次々と処刑されていきました。
目をそむけたくなるほどの残虐な歴史。
人は人を人と思わなくなった瞬間に悪魔となる。
人間は狂う。
国内が混乱状態になると、あらゆる歯車が狂い始め、このような悲しい歴史を起こしかねないと思いました。
同じ過ちを起こさないためにも、目を背けずに歴史を知ること伝えることは大事ですね。
2023/12/26 プノンペン 「カニカリバークルーズ」
夜は、親友の彩花とキムの友人チャンナンさんとボーナーさんと合流し、プノンペンのナイトクルーズをしました🚢
チャンナンさんは日本の美容品をカンボジアで販売している会社を経営していて、ボーナーさんはホテルを運営したりオフィスビルをお持ちでした🏙️
チャンナンさんは日本の山口県で3年間働いており、日本語もペラペラ!
素敵な出逢いに感謝です☺️
2023/12/27 プノンペン→スヴァイリエン
高野さんの友人のワンさん家へお邪魔しました🏠
ワンさんは技能実習生として日本企業で働いていました🚗
いまはカンボジアに帰国し地元で働いていますが、日本語もペラペラで、技術力も高いワンさんは力を持て余しており、彩花の紹介で今のスキルを活かした職へ転職するかも・・・?という話になっておりました👀✨
2023/12/28 スヴァイリエン→プノンペン→コンポンスプー
前職の会社の先輩である高野さん。
高野さんは学生時代に何度もカンボジアに訪れたことがあり、その頃に出会ったキニーさんのご自宅に泊めていただきました。
家がおっきなショップ(日本でいうアカチャンポンポのようなお店)を経営しているようで、泊めさせていただいたお部屋も豪華でお姫様になった気分でした👸
しゃぶしゃぶをご馳走になり、お子様もたくさんで幸せな一時でした☺️
2023/12/29 コンポンスプー→プノンペン→ポイぺト→シェムリアップ
キムの実家に泊めさせていただきました🏠
建て直したばかりのお家のようで、とっても綺麗!泊めさせていただいたお部屋は、とてもカッコ良く今度は王様になった気分でした🫅
こんなにおもてなしをしていただいていいのか、と思うくらい皆さんによくしていただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
オークン!!
2023/12/30 シェムリアップ→プノンペン
キムのお兄さんに念願のアンコールワットに連れていっていただきました!
アンコールワットは非常に大きく半日では回りきれないほど。どれほど王様の存在、権力が大きかったのかがよくわかります。
アンコールワットにはいろんな神様がいて、推しの神様を見つけることをお勧めされました。笑
2023/12/31 プノンペン→コンポンチャム
カンボジアレストランのもう1人の常連さんであるソッキムとも会うことができました!何とこの日はソッキムの妹さんの結婚式💒
そんなおめでたい日に参列させていただきました!😍
2024/1/1 コンポンチャム→うどん→プノンペン
カンボジアレストランのシェフの故郷、うどんにも行ってきました!パパイヤや魚を自分たちでとって、夜の宴会の準備🎵夜通しでみんなで宴をして、ハッピーニューイヤーしました!
2024/1/2 プノンペン→コンポンチャム→プノンペン
ソッキムは日本でお仕事のため、お先に日本へ帰国。最終日は一緒に少年少女のように三人乗りで自転車で走り回り、夕日を見て帰るという何ともエモい1日を過ごしました🌇
2024/1/3 プノンペン
大親友のあやかと、カンボジアのショッピングモールに行ってプリクラを撮りました。
そして、なぜか街中で組体操をしました。
2024/1/4 プノンペン
あやかの住むお家の中にあるスタジオで、あやかの友達と筋トレ🏋️
カンボジア最終日は、あやかと思いきり遊びました😆
2024/1/5 プノンペン→ベトナムホーチミン
寂しくもカンボジアを出て、日本へ帰国。
ベトナム経由のトランジットで、16時間も時間があった為ホーチミンへ一時入国。
全然時間ありませんでしたが、大学2年生の時にベトナム武者修行インターンでとってもお世話になった武者修行カントリーヘッドのカインと会えることに。
この日も何かのビジネスの授賞式に行っていたみたいで、すごい方なのに優しくて心から尊敬する1人です!
2024/1/6 ベトナムホーチミン→東京
名残惜しくも、日本へ帰国。🇯🇵
本当にあっという間でした!
久々の海外でしたが、カンボジアの方々の関わりがみんな温かくてほっこりしました。
一生で出逢えるのは地球の80億人以上いる人の中でごくわずか。深く関われる人はもっと少ない。
そんな中で出逢ってくれた人、繋がってくれた人とのご縁は何年経っても大切にしたい。
カンボジア、ベトナム、日本。
国は違くてもどこも大切な場所であり、大切な人たちです。
世界中に大切な場所や友達が増えていけば、争いは減っていくのではないだろうか。
そんなことをふと思った2週間でした。
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