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あけまして

小さい頃の大晦日は、
なんだかとっても特別な感じがしていた。

いつも21時に寝なければいけない子供だったから、小学校のなかよし女子たちの昨日のドラマの話には参加することができず、夜更かしできたのは、お父さんと一緒にワールドカップを見た日と、毎年の大晦日だけだった。

少し大きくなって、夜更けまで起きるのがなんてことなくなってきてからは、いつも年越しは不思議な心地がしていた。

年が替わること以外、あまりにも普通に時間が過ぎていくから、すごく変な感じがして、前まではあんなに特別だったのに、おやおやこんなもんか、と思ったりもした。

今日だって、地球がいつも通りに回って、時計がいつも通りに 0:00 になっただけなのに、なるだけなのに、テレビでは特別な番組がにぎわって、カウントダウンなんかをして、その瞬間を誰もが待ち望んだりしている。
そうして、年が開けたら開けたでおめでとう、よろしく、をあちらこちらに忙しく言い回って、夏にはほとんど忘れてしまうような抱負を掲げたりする。

今年のわたしはというと、テレビのない部屋でひとり年越しをすることとなり、とりわけこのままなんでもない明日を迎えそうな心地がして、ソワソワ、焦るように、寂しさを埋めるように、日付の替わる少し前、この文章を綴りはじめた。

でもどうして?

今日だって、昨日と同じように明日が来るのに、それと一緒に来年が来ることは特別おめでたいということに世間ではなっていて、その日からはなんとなく心機一転して、新しい自分に生まれ変われるような気もしてくる。

かくいうわたしも、ここでああだこうだ言いながら時計が新しい今日になってからは、去年とは違った健康体になった気がして、パワフル元気に頑張っていけるような気がして、何故か瞬間的に昨日とは違うわたしに生まれ変われた気がする。概念というのはすごい。

一年という括りの概念を作ったひとは、そうしておくと便利だから、という理由の裏で、もしかしたらみんなに生きたまま生まれ変わるチャンスを与えてくれたのかもしれない。そうしたらみんな今日が誕生日。めでたいね。おめでとう。

我ながらちょっと何を言ってるか分からなくなってきたけれど、意外とこれは数え年の文化からしたら理にかなっているみたい。なのでまあ、そういうことにしておくよ。

新しいみんな、ハッピーバースデー!



ちなみに別話、「初日の出を見た話」も書きました。よければそのままどうぞ。


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