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初日の出を見た話

今までその文化にあまり馴染みがない家だったので、初日の出というものを見たことがなかったのだけれど、なんとなく思い立ってひとりで近所の丘に見に行くことにした。

丘と言ってもただの住宅街の中の少し開けた坂道なので、たまたま冬の朝早く通りかかったときに見つけた穴場だと思っていたが、恐らくその近所に住んでいるであろうご夫婦が先にそこにいて、ひとり手ぶらで来た私はなんとなく少しばつの悪い心地で離れたところに立っていた。

日の出という現象は、地球からしてみればいつも通り回って、太陽からしてもいつも通りに燃えているだけであるのに、初日の出というのは、なるほどこれはなんだか神秘的で、じんわりと、うっかり涙が出そうになった。

自分でもそんなのはちょっと大袈裟だと思ったけれど、ゆらゆらと燃える太陽は今日が自分の一番の舞台だと知っているかのように、ゆっくりと冷たい空気に時間を溶かしながら、枯れ木の隙間をめらめらと潜り、淡いグラデーションの空をのぼっていった。

先客の見知らぬご夫婦や、初詣に行く通りすがりの見知らぬカップルが、声をあげ、指をさしながら、私と同じ朝日を見た。

私はこういうとき、美しい景色や神秘的な現象の前では、人々はそれを共有する自分の大切な人やそれに関する大切な思い出が隣にあるからこそ、とりわけ感動するのだと思っていた。けれど、今日の私にはその朝日と時間と空間とを共有する人が隣にいるわけではなかったし、そもそも初めて見たので初日の出に関する美しい思い出も特になかった。

それでも確かにそれはすごく美しくて、キラキラゆらゆらしていて、特別な感じがしていた。明日また朝日を見ても同じことを思うのだろうか?わからない。ご夫婦が今年もよろしくなんて言い合いながら帰っていった。

私の帰り道は、少し寂しい気持ちにならなかったわけではないけれど、枯れ草たちに降りた霜と白くなった赤い実が冬の朝の顔をして彩っていたから、なんとなくよかった。

誰かさんと誰かさんとの物語の脇で確かに私のために燃えていた太陽があったこと、ちゃんと忘れないでおこうと思う。

それだけできっとよいのだよ。

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