見出し画像

■6月18日 昨日今日とは

今日はマジで何もせずに終わりました(笑)気がついたら、夕方で。あまりに時間の過ぎるのがはやすぎて、おもわずおろおろしてしまいました。

晩御飯を食べてから、やっとパソコンを開いて、今日更新するnoteの記事を書き、でも、なかなか進まなくて、なう(19日午前0時過ぎ)です。うん。眠い。

なので、清々しいほど書くネタがありません。どうしましょ?

・ ・ ・

そして、翌朝なうです。

昨晩書いた上の部分とは打って変わり、今日はずいぶんセンシティブなお話になります。今、気持ちが沈んでいたり、かなしい言葉に触れたくないという方は、ここで折り返してくださいね。

明日はきっと元気な記事を書きます。

・ ・ ・

一つ目のまとまりを書いたところで集中力が途切れ、パソコンを切りました。そして、寝る前にTwitterのTLをぽやぽや眺めていたのです。すると、あるtweetが飛び込んできて、不意に私の時間は止まってしまいました。

それは、お友だちの妹さんの逝去を知らせるものでした。

私は妹さんとも面識があります。顔を合わせれば、あれこれお話していました。闘病中であることも知っていましたが、「来週、手術なのよね♪ 笑」と大らかに話す人で…もしかすると、その会話が彼女と交わした最後のものだったかもしれません。

すぐにお友だちにLINEして…とても仲の良い姉妹でしたから、それはもう羨ましいほどに…何と言葉をかければよいか、分からなくて…こういうとき、言葉って無力だなって、とても悲しくなりました。

ひと通り、彼女とLINEを交わした後、私はベッドの上に座ったまま、気持ちのなかにじわじわと痛みが侵食してくるのを自覚していました。

「もう、彼女、いないんだな…」

奇妙に現実感はなく、でも、彼女の死の持つリアルな重みだけはズンと感じられて、泣きたいような衝動は湧いていたのに、それは寸前で堰き止められ、私は泣けずにいました。

それは、実の父親を亡くしていたと知ったときの、「喪失感」と似ていました。

このあたりの話は込み入っているので、詳しいことは省きますが、私は実の父親を結果的に一人で逝かせてしまいました。その痛みと後悔と申し訳なさと…未だ言葉にできないあれこれは、あれから長い年月を経た今も、生々しく色褪せることなく気持ちの底に持っています。

そして、その一部は「喪失感」という形をとり、私の芯の部分に寄り添っているのです。もちろん、いつもは忘れています。なので、扱いはぞんざいです。でも、こういうとき…たとえば「喪失」に触れたとき、それは明確に自覚されて…気持ちのいろいろな部分を刺してくるのです。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを

翌朝起きて(今、ですね)、「ぽっかりと胸に穴が空く」という感覚をリアルに味わっています。

連絡先を交換するほどの仲ではなくとも、顔を合わせれば挨拶をし、他愛ない話をして笑い合うくらいの、どちらかといえば、軽めの関係の人ではありました。

それでも、彼女は「私」という人間の一部をがっつりと成していて。それは、自分でも驚くほど、明確に確実にその質感やカタチは私のなかにあって。

でも、もうこれ以降は、その部分が「記憶」というモノに変化するしかないという事実に、欠落感と大きなかなしみが湧き起こり、そのあまりの硬質さに打ちのめされてしまうのです。

でもきっと、その「記憶」もいつかはやさしい感触を持つものとなって、私のなかに居場所を落ち着けるのでしょう。だから、それまでは彼女を悼み、少しだけ時間の進みを緩やかにして、心穏やかに過ごそうと思います。

・ ・ ・

ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら、ほんとうにありがとうございます。上にも書きましたが、明日は元気な記事を書きますし、次の【写真館】は多分通常運転です(まだ書いてませんが)。

今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。







記事をお読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートはがっつり書籍代です!これからもたくさん読みたいです!よろしくお願いいたします!