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あの頃、私は小説家になりたかった

mikoさんの記事を読んで、私も書きたくなったのでテーマをお借りすることにした。

「書く」の楽しさを知ったのはいつか。覚えている限り、小学生の頃だ。国語の授業で『がまくんとかえるくん』をやったときのこと。

詳細はよく覚えていないけど、物語の続きを書くんだったか、新しい物語を自分で作るんだったか、とにかく物語を書いてみようという時間があった。どうすればいいのかわからず困惑したけど、考えるのは楽しかった。

自分で物語を作ることができる、そのことに感動した。この記憶は美化されすぎているかもしれないけど、創作の楽しさを知ったのはこのときだったと思う。

この前、本屋さんの雑貨コーナーにがまくんとかえるくんの絵本とともにグッズが売っていて、猛烈な懐かしさを感じた。彼らのことはきっと一生忘れないだろう。

その後何年か経ってから、友人数人とと小説家ごっこが始まった。恥ずかしいペンネームをつけて、挿絵も自分で描き、締切まで決めた。ノートに書くのではなく、適当な紙を折ってテープで止めて製本したりもした。意外に本格的だった。「将来の夢は小説家になること」と書いていたこともある。楽しかった。

でもどこかで、「小説家は無理だろうな」とも感じていた。だって私が書くのは、はやみねかおる先生の「名探偵 夢水清志郎シリーズ」に出てくるのと似たようなトリックのミステリーだったし、りぼんで読んだことのあるような恋物語だった。

0から物語を生み出す才能は私にはない。小学校6年生の私はもうすでに気づいていた。中学生になると、作文をコンクールに出さないかと先生に言われて書いて出したけど、その頃にはもう書くことはもう楽しくなくなっていた。

さて、今はどうかというと、書くことは楽しい。書くのは壮大な物語ではなくもっと身近で小さな日々のこと。職業としてでなく、誰かに言われたからでもなく、ただ書きたいことを書く。それが一番楽しいのだ。

小説家になりたいと言っていたあの頃の私は、今の私をどんなふうに思うだろう。あの頃よりもずっと自由に書いていることに喜ぶかな。