【6】恐怖の機能と人間の不思議
このマガジンでは、せらせらとオルくんが交互に1つのテーマについてエッセイを書いていきます。6ヶ月目の今月のテーマは「恐怖」です。
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怖いことは多い。
自分でコントロールできる恐怖とできない恐怖があるような気がしている。コントロールできれば乗り越えることができるかもしれないが、そもそも怖いとは、どういうことか。
小さい時から今に至るまでの、経験から考えてみたいと思う。
助かってもこわい
小学生くらいの頃、「九死に一生体験」を再現するテレビ番組が苦手だった。親には「助かった人たちの話なのだから別に怖くないでしょ」とも言われた。でも、少しでも間違えたらテレビの中の人と同じような目にあう。それが怖いのである。
家と家の間で遊んでいた子どもの頭が挟まってしまい動けなくなるとか、一人で入った森の中で足を滑らせ崖から落ちてしまうとか、燃えやすい素材の服を着ていた子供のそでに火が燃え移ってしまうとか。強烈な記憶すぎて、数十年経った今でも鮮明に覚えている。
この類の番組は昔に比べたら少なくなったような気もするけれど、未だに苦手だ。映画の『タイタニック』も恐ろしくて観たことがない。
「分からない」はこわい
それから、分からなくて知らないことは怖い。
たとえば異国の地で、話されている言葉がまったく理解できないとき。無遠慮にじろじろとこちらを見てくる視線。不安になり、怖いと感じる。
自分に向けられた言葉や態度が、好意なのか悪意が含まれているのか理解できないからだ。相手が何を考えているのか、どうすれば受け入れてもらえるのか、わからない。自分だけ取り残されたような気分になる。
知っているお墓はこわくない
墓地は「怖いもの」の象徴として、ホラー映画によく出てくる。確かに、知らないお墓は怖い。
けれど、自分の家のお墓は怖くない。そこにはおじいちゃんやご先祖様、誰かしら自分のルーツにあたる人が眠っているからだ。怖さは全くなく、むしろ手を合わせながら「これからも見守ってね」などと語りかけている。
恐怖の種類
さて、これまでに挙げてきた恐怖を分類してみよう。
・「死ぬかもしれない」という本能的恐怖
生命維持のために危険を察知して感じている状態。バンジージャンプ、高いところ、飛行機、ジェットコースターに感じるのはこれじゃないだろうか。とても本能的だ。
・孤立するという社会的恐怖
孤独を感じたり、不安に思ったり、自分だけが誰とも何の繋がりを持たない、と感じる恐怖もあるだろう。「誰かに嫌われるかもしれない」と思ってしまうのも、周囲との関わりがなくなる恐怖だ。
・記憶に結びつく意味づけられ恐怖
日本人形やピエロの顔。髪が伸びたり、襲ってきたりこわいイメージがある。「あれはこわいものだ」と刷り込まれている感じがする。
また、日本人は気配を感じてそれだけでこわくなるらしい。だから、ゾンビなど目に見える恐怖がなくてもこわくないのだ。リングの貞子がテレビから出てこなくたって、雰囲気だけでぞっとしてしまう。
恐怖は、それと認識した途端に恐怖になる。もし、これがこうなったらどうなるだろう?想像からやってくる恐怖もある。「これは怖いもの」と結びつけられた途端に、対象になるのだ。
知ろうとすること
ここまで書いてきて、恐怖を感じるのは自分を守るのに必要な機能なのではないかという気がしてきた。怖いから避ける。もしくは逃げる。
一方で「怖いもの見たさ」という言葉もあって、人間とは不思議なものだ。本来避けるべき怖いものを、わざわざ覗いたりする。
「怖い」とは何か、何が怖いのか、どうしてそう感じるのか、知ろうとすることは自分を理解する手助けになるのかもしれない。
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きょう‐ふ【恐怖】
[名](スル)おそれること。こわいと思うこと。また、その気持ち。「恐怖にかられる」「人心を恐怖せしめる事件」「恐怖心」
出典 小学館