山野

写真展「風和らぐ」被写体インタビュー/山野辺喜子さん(アロマセラピスト)

来年1月10日から開催の三浦えりの写真展「風和らぐ」
山野辺喜子さんの展示予定の写真を先行公開します。

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山野辺喜子さん
アロマセラピスト・フレグランスコーディネーター
福島県いわき市出身
2004年自身のアレルギー改善のためアロマセラピー食事療法・体質改善などを学び始める。また、家族の病を機に、整体・アロマトリートメント・介護などの技術も習得。身につけた知識や技術、実体験を活かし、心身を癒すセラピストとして活動を展開。2019年7月東京・赤坂に -yes エルブメディシナル- をオープン。今までのサービスに加え、アロマトリートメントや整体、yes独自のパーソナルケア施術を提供。
喜子さんとはもともとお友達として仲良くしていただいている仲です。他の被写体の方たちとはちょっとお姉さん世代になるのですが、どうしてもこの写真展で被写体として参加してもらいたかった方の一人でした。というのも、私が今の年齢で写真だけでやっていくぞと覚悟ができたのは喜子さんのおかげです。これだというものに出会えることに年齢は関係ないと思わせてくれたのは喜子さんでした。また、震災をきっかけに感じたことや食べ物などの安全性への疑問を持ったとことで今の仕事を「使命」だと確信したことは平成の時代で起きたことを受けてとめて、令和で喜子さんなりの答えを私たちに与えてくれるんじゃないかと思ったからです。
喜子さんのところを訪れるといつも周りに人がいます。それは、彼女の人柄ももちろん、彼女のやっていることを本当に応援したい!と思っている人がたくさんいるからだと思います。
きっと、自分の役割を「使命」と言い切れる喜子さんだからこそ、彼女の作ったプロダクトを通して、たくさんの人に伝わるものがあるんだと思います。
私やお友達は喜子さんのフレグランスをお守りのように使っています。ちょっと落ち込んだときや、つかれたとき、彼女の作った香りが支えてくれることがたくさんありました。喜子さん自身もそんな存在なんだろうな、と感じながら写真を撮りました。

最初は「自分のため」に始めたこと

三浦:最初に、ブランドを立ち上げるまでにどんなことをしてきたのか、今までのキャリアについて教えてください。

山野辺:2014年にオリジナルアロマ ブランド「fragrance yes(フレグランス イエス)」を立ち上げました。でもそれまで、ブランドを立ち上げるために何かをしてきたわけではないんです。

私自身、若い頃からアトピーやアレルギーがひどく、ステロイドを日常的に使っていました。20代前半に出会った整体の先生から「本当に治したかったら、食事療法や体質改善などの根本治療をしてみるのはどうか」と勧められ、その時にステロイドを抜くことを決意しました。

ステロイドを抜き始めると、薬で抑えていた赤みやかゆみが出てきてしまって、とても苦労しました。肌にいいとされる化粧品を使ってみても、どれも合わず余計に悪化していく状況でした。「どうしたらいいのだろう、、」と悩んでいる時にいろいろ調べて、自分で保湿クリームを作り始めるようになりました。

2004年から、アロマやハーブを生活に取り入れ、食事や肌に使うものを変えていくため、本格的に勉強を始めました。勉強しながら自分の体で試して、約5年の時間をかけてステロイドを抜きました。最初は「自分のため」に始めたことでした。「この経験を、同じように困っている人に伝えて行きたい」それがyesに繋がるきっかけでした。


そのあとも、整体の技術を習得したり、アロマやハーブの学校に通って深く学んだり、遺伝子治療の研究をしている先生のセミナーに参加したり…自分のライフワークとして続けていたんです。私の整体の師匠が全国を回って患者さんのケアしていたので、それに付いて行き勉強もさせてもらいました。


「10年学んだら独立と決めていたので」その時が来て準備を始めた矢先に東日本大震災が起こりました。福島県出身で家族が被災したこともあり、とてもつらい思いをしました。それと同時期に長年一緒にいたパートナーと離れることになり、ひとりではもうがんばれない状況に陥って一旦独立するのを諦めました。

そのタイミングで、卒業したアロマスクールの学院長が「スクールとサロンの運営を手伝ってくれないか」と、声を掛けてくれ「学院長のもとで働きながら勉強をさせてもらおう」と決めました。


それまでは、派遣で受付の仕事をしたり、入力の仕事をしたり、「楽でお給料が良い仕事」に就きながら、空いた時間で自分の好きなことをやっていて、きちんと就職したのがその時が初めてだったので知らない事が多くとても大変でした。

三浦:うんうんうん。すごくわかります。

山野辺:働きながら勉強をするので、とにかく最大限時間を使いました。朝から夜まで働いて、分からないことや出来ないことを解決するために遅くまで居残りして。休みもほぼない状況でした。それを3年間続けて、ある時、また新しいきっかけがあったので、そろそろ次のステップかなと思い、退職してまた独立に向けて動きはじめました。

「だったら、自分で作るしかない」と思って、自分のブランドを立ち上げました。

三浦:独立した後は、どんなことから始めましたか?

山野辺:最初は全国をまわってワークショップをしていました。でも、それだけでは食べて行けず「どうしたら生活をしながらこの活動を続けていけるのか。」と頭を悩ませていました。それでもワークショップは辞めることなく、施術をしたり商品化についてあらゆる所に相談に行ったり、諦めずに前に進み続けました。その結果、活動を知った方々が声をかけてくれるようになり、気がつけば「fragrance yes(フレグランス イエス)」というブランドが成り立つまでに成長していました。

三浦:「この活動を、しっかり仕事にしていく」って強く思うようになったのって、自分の今までの体験があったからっていうところが大きいですか?

山野辺:そうですね。ある意味反発で、世の中にある化粧品や食品は本当に安全なのかな、食べる人や使う人のことを考えて作っているのかな、と疑問に思うことが増えました。こんなことを繰り返していたら、どこかで歪みというか、みんなが心や体を壊すんじゃないかと思うようになりました。現状、アトピーやアレルギー体質の人がまわりに沢山いて今後もどんどん増えて行く気がして。「本物」を意識した時に、信じられるものが少なかったんです。「だったら、自分で作るしかない」と覚悟してしっかり仕事にしていくことを決めました。

三浦:山野辺さんの、その違和感を見過ごさずに「自分がやるしかない」ってなったところがすごいなと思っていて。そう思えたのは、もともとの山野辺さんの性格なのか、覚悟なのか、自然の流れだったのか…?

山野辺:私にとって、自然な流れでしたね。世の中はたくさんのモノで溢れていますが、全国をまわってワークショップをする中で、実際に困っている人や必要としている人の声を耳にして、なんとかしなければと思っていました。

後日、yesのワークショップで作ったクリームで手荒れが落ち着いてきたとか、子どもがお風呂上がりに喜んでクリームを塗っていますとか、「よっちゃんの魔法のクリーム」また作りたいとか連絡をもらうと、やはりその思いにまた応えて行きたいと思うんです。


三浦:実際に、使った方の声を直接聞けるっていうことが大きいんですね。

「人との出会いやご縁をとても大事にしています。」

三浦:山野辺さんのお話を聞いていると、上から目線で申し訳ないんですけど「周りの人に恵まれてるのかな」って、すごく思いました。

山野辺:「人との出会いやご縁をとても大事にしています」1つ1つの出会いに意味を感じるんです。それはいい事だとしても悪い事だとしても。

三浦:へー!すごいですね!

山野辺:自分が成長するために教えてくれることが必ずあるんですよね。「どうして出会ったんだろう、どうしてこんな嫌な思いをしないといけないんだろう」と思うことも沢山ありますが、そういう時は立ち止まって今の自分を振り返ります。そうすると足りない部分や未熟な部分が見えてきます。だからどんな出会いも自分に必要な出来事と受け止めています。

「自分の力で生きていく」。30代前半に、私にとって大きな決断をしました。

山野辺:私の人生が大きく変わったのは、東日本大震災のあと。それまではフリーで仕事をしていて、自分の時間やパートナーと過ごす時間を大切にしていました。
でもパートナーと離れることになって、30代前半に「自分の力で生きていく」と決めました。私にとって、人生の中で大きな決断でした。パートナーと一緒にいて甘えて暮らしていた場所から、独り立ちしようって決めた瞬間だったから。そこから、大きく人生が変わりましたね。

「自分の力で生きていく」と決断したものの、大変なこともいっぱいありました。毎日側にいた人が突然いなくなるのは体が半分なくなったような感覚で。でも生きていかなきゃいけない。何年かは、すごく苦しみました。

だからこそ、人に対する接し方だったり尊敬だったり、そういうのが変わったのかもしれません。1人の人をすごく尊重するようになったし、自分のまわりにもそういう人が多いのかもしれません。

三浦:山野辺さんの転機って、本当にここ数年のことなんですね。

山野辺:そうですね。まさかこの年になってこんな経験をするとは思っていませんでしたが。。あの時1人になったのは本当に大きな転機でしたね。今となってはそのパートナーだった人とも仲良くしていますが。何年か会わない時間があったものの、共通の知り合いの死やお互いの人生が大きく変わったことで、また会う機会が増えて、家族みたいな兄弟みたいな関係で過ごしています。あのころとは違う形だけど縁は繋がっています。

三浦:30代から「頑張るぞ」ってなって何かを始めるって、20代の頃の経験があるからこそだろうなと思うんです。何かを始めるときに、30代で始めたとしてもまた違った心持ちでできるのかなって。

山野辺:物事にはタイミングがあると思っています。たぶん、20代の頃に同じことを始めていたとしても、あの時の環境の中では続いていなかっただろうなと思います。
30代前半のときに震災があって、パートナーとの別れがあって、その環境の中で始めたことだからこそ、続けることができたんです。「なんとしてでも、前に進んでいく」という意思もあって。今思い返せば、それが私に必要な出来事だったんですよね。

どんな些細なことでも、本人が変わるきっかけはあると思います。

三浦:30代前半でも、いまだに「これから、何をしたら良いかわからない」って悩んでいる子は普通にいるし、それって当たり前だと思うんですよね。でも、きっかけさえあればそういうものに出会えたりするよ!って言うことを、伝えたくて。

山野辺:私の周りでは、「自分が病気をした」「身近な人が亡くなった」などが人生の転機になっている人が多い印象です。その出来事をきっかけに、改めて自分自身を見直すのかもしれませんね。

例えば、私が生活環境を大きく変えたことや、食事療法・体質改善で人生が変わったということを伝えても「そうなんだー」で終わる友人も、いざ自分の家族や自分自身が病気になると「困ってるから、あの話しもう1回教えてくれない?」と聞きに来ることがあります。結局私がどんなに言葉で伝えても、本人にきっかけがやってこない限り変わらないと思うんです。その時はそれぞれに決まっているのかもしれません。


三浦:確かになぁ。周りの人を見て「本当はもっとこうすればうまくいくのに」って思っちゃうけど、自分が思うようにその人が動いてくれるわけじゃないですもんね。

山野辺:そうですね。
私はカウンセリングの時にみんなに伝える言葉があります。
「ここに来たから良くなる、というけではありません。」と。
原因があるから結果がある。原因は自分の暮らしの中にあるもの。その原因に気づいて日々の生活を少しずつ変えていかない限り平行線なんですよね。
なので私はその気づきのお手伝いをするんです。
実際に不調を直していくのは本人なので、どんな些細なことでも気づけば本人が変わるきっかけになると思います。


三浦:自分で気づく…大事ですよね。

自分で向き合って、戦って改善してくしかない

三浦:自分のブランドを立ち上げたときに、大変だなって思うことはありましたか?

山野辺:自分のやりたい事を仕事にしていくということは、大変なことだらけでした。趣味ではないので、きちんと利益を生み出して回さないといけないとか、活動を続けるためには自分が生活していける環境でなければいけないなどなど。

頭では分かっていても感情が先に出てしまって、苦労しました。商品の価格を決めるにも、高いと言われたり安いと言われたり「みんなが使いやすい価格がいいのかな」と考えてしまったり、でもそれは商売としては成り立たなくて。

原料の仕入れやかかえる在庫、店舗家賃や人件費、とにかくお金がかかります。

どんどん進んでいく中で「このままだと、継続は難しいのでは?」とまわりから言われるようになり日々落ち込んでいましたね。

自分で考えても答えはでなくて、気付けばどんどん資金が減っていく…相談できる友人が多い分、いろんな意見が出て逆に混乱し始める。そのうち「人に聞きすぎ、自分の考えはないの?」と言われるようになり。

私は「yes」を困っている人たちに届けたい、役に立ちたいと思って活動しているのに、どうしてこんな思いをするんだろうと苦しくなりました。人を元気にする仕事なのにどんどん自分が弱って行くという悪循環で。

それを感じ切った時に、「自分で向き合って、戦って改善してくしかない!」と割り切れるようになったんです。そこからは専門家を頼って、1からまた勉強のしなおし。思いを届けることも、経営することも、両方うまくいくように軌道修正しているところです。

三浦:自分がやりたいことをビジネス(仕事)にするって、すごく難しいじゃないですか。「誰かのために」とか「寄り添って」っていうのももちろん出していきたいけど、その裏で考えなくちゃいけないことって山ほどある。山野辺さんがそんな風に決意できたの、すごいなって思いました。

山野辺:私の場合「自分らしく生きる」には、この活動しかなくて。そう考えた時に、ビジネスとして軌道に乗せるっていうのが解決方法だったんです。

良いものやサービスを提供して、お金として戻ってくるのはありがとうの数だよ、という言葉を聞いて、喜んでくれる人がいっぱいいるんだと思えるようになりました。お金をもらうことに対して「申し訳ない」という気持ちは違うんだなと気づきました。

三浦:そこに気付けない人も、いますよね。

山野辺:そうですね。みんな「ありがとう」と買ってくれて、後日喜びの声をメールでもらったりして、「必要なものを、必要な人に届けているんだな」と思えるようになりましたね。そのためにはビジネスを軌道に乗せるっていうのは、すごく大事なこと。

三浦:今日話しを聞いていて、「これが使命だ!やんなきゃ」っていうことが見つかれば、その人には年齢とか関係なくどんどん挑戦してもらいたいなって思いました。そういう面も含めて、山野辺さんの「yes」の活動が広まれば良いな…。

山野辺:「必要なことをしていたら形になっていた」という感じなので、ここに導かれたんだと思っています。あとはもう進むしかない、やっていくしか選択肢がないんですよね。誰に何を聞かれても「はい」と答えられるものづくりや活動をしていく、ブランド名の「yes」はみんなへのお約束の「yes」なんです。なので自分らしくいるためにも続けていきます。「fragrance yes」は、自分の使命だと思っています。

写真展「風和らぐ」
場所 表参道ROCKET
日時 2020年1月10日(金)〜1月15日(水)

記事執筆:三浦えり
編集:せらなつこ
ヘッダー制作:カナメ@世界観デザイナー

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三浦えり
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