Story of eri Pancake(003)
前回からの続き(前回を読まないと話がわからないかも)です。とにかく、まわりの人達が飛びつくものには例外なく全て拒否反応の天の邪鬼なわたしです。流行とか、国民的とか言うもの全部が嫌い。集団行動も苦手だしグループでの活動もできません。どうしてなのか、わからないけれど。
小さい頃からそうでした。いつもひとりで絵を描いたり、空想して、自分だけのオリジナルの遊びに夢中になっていました。誰も立ち入ることができない、わたしだけの世界。そこにあるのは、わたしのもの、わたしのルール、わたしの物語です。育てられ方なのか、何なのか、よくわかりません。
学校に行くようになっても、その性格というか、性質というか、社会とか世間とかいうものと折り合いをつけることができず、かと言ってそのことで何か悩んだり苦しんだりすることもなく、育ってしまいました。陰キャ?コミュ障?何とでも呼んで下さい。とにかくそういう人ですから、わたし。
なのでと言うか、必然なのか運命なのかよくわからないけれど、そういうわたしの相手を父はよくしてくれていました。というより、自分の娘に対して随分と変わった接し方だったようにも思います。自分の興味あるものや、いいと思ったことを次々とわたしにやらせていたんですから。
わたしもわたしで、なにか文句を言うでもなく、反抗するでもなく、なぜかただ従うばかり。子供ながらに、父が勧めてくる色々なことが、わたしの目にはキラキラ輝いで見えていたからなのです。だから、同世代のみんなが通った道をわたしは通っていないし、みんなが夢中になったものにも興味がなかった。
社会とか世間が一斉に向いていたその方向に、わたしは行かなかった。行きたいとも思わなかった。それより何より、父から教えられる大人の世界の、大人のコンテンツに夢中になりました。そのことで、なんだか自分だけ、まわりの人達、勉強ができる、社交性がある、そういう人達より勝っている気になっていました。
ちょっと気になる同級生がいても、その人が流行のものに興味を示すのを見るだけで幻滅したものです。そうして、法的にどうなのかという議論はさておき、わたしは小さな頃から、子供の頃から、大人向けの様々なコンテンツを消費していました。なので今でも、同世代の人たちとは、なんだか話が合いません。
むしろ、相手の素性がよくわからないセカンドライフという世界で、自然と話しが噛み合う、気が合う人は、聞いてみるとだいたい父と同じ世代の人たちでした。それがわたしにはすごく心地よくて、楽しいんです。もしかしたら、なにかコンプレックスがあるのかも知れません。知らんけど。
さておき、そういう変な生い立ちなんて、すっかり忘れていたわたしに蘇った、No Music No Lifeの記憶。父が残してくれた「MacBook Pro」に入っていた「iTunes」のプレイリストが、そのことを思い出させてくれて、わたしは思いました。この、蘇った記憶には、なにかとてつもない力がある。
言い方を変えると、「需要がある」。でも、それを活かす方法がわからない。歌のようなものが、たったひとりのひとに評価された。それをきっかけに、自分の歴史が蘇った。この、点と点がつながって、わたしの中に、ひとつの可能性が芽生えたんです。それは一体、何でしょう?次回に続きます♫
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