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迷える羊だった私が、泣き相撲参加で、地域に何かしたい!!と考えるようになった話

自分が幼かったとき、自分と地域とのつながりなんて全く考えていなかったし、必要だとも気がついていなかった。
さらに貢献しようなんて、微塵も思うはずがなかった。
そんな人はきっと私だけではないはず。

時はすぎて30歳も半ばのあるとき、一瞬真剣に真剣に悩んで、自分の心と対話して、東京から釧路への移住を決めた。
それからというものは、そのつながりの大切さにヒシヒシと気がついた。

移住したては、人との交流もままならず、友人ももちろんいない。
どこのスーパーがいいか、どこの病院がいいか、誰に…聞けばいい…?🥲
(今でも気さくに聞ける人は少ない。)

新しい土地で人との交流を増やしていくのは大変だなぁと思いながら、なんとか仕事を始めて話せる人はグッと増えた。

それでもまだどこかに、うっすら孤独を抱えたような気持ちは拭えないままでいた。

そんな頃、釧路で生まれた息子が、まだ1歳の時、厳島神社の例大祭の催し、赤ちゃん泣き相撲に参加した。

公衆の場で赤ちゃんが泣き叫んでいたら白い目で見られるんじゃないか、そんな強迫観念を持っているママも多いと思うんだけど、赤ちゃん泣き相撲は真逆。
もっと泣いていいよ!たくさん泣いてね!
そうして泣いたことをみんなで喜ぶ。
こんなあたたかい素晴らしいイベントがあったのかと心から感動した。

この地域のみなさんは子どもを大切に想ってくれてるんだなぁ
泣いても怒られないし、みんなあたたかい目で見てくれてるんだなぁ
地域とつながってない!とないもの探ししていたけど、すでに受け入れてもらってたんだ!と私の意識が変わった。

そして、このとき人生で初めて、私の中に
あぁ、私も何かしたい…!
この地域の人に貢献したい…!
恩返しがしたい…!
そんな気持ちが芽生えた。

どうしたら、地域を盛り上げる側になれるんだろう?何をしたら良い?自分にできることは?

すぐには具体的な行動はできなかったけど、この経験は私にとって大きな大きなターニングポイントとなった。

そして、この原体験は後に、宿泊施設の開業につながっていく。それまでのたくさんの想いもあるけど、そのお話しは、また今度。

ここまで、お読みくださりありがとうございました!

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