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こころの余白をあらためて

一割でも二割でも、働く中に「余白」の時間を持てることは、自分なりの、自分にしかない 「芽」を出すための、きわめて大きな前提条件となるだろう。

時が経つうち。

関心をもって、待ち、寄り添っていくうち時間の経過とともに、一人一人の中からそれぞれ違った「言葉」が立ち上がってくる様子に立ち会うことができるようになる。最初はおそるおそる。でもある種の確信と力強さを伴って。

ゆっくり、いそげ(大和書房)/
クルミドコーヒー店主
影山知明

自分のやりたいことについてうまく語れないことの方が多い、という話。それってどの範囲の話?人生?今の仕事で?生活で?それぞれ集結しているはずだけれどうまく紐付かないし、毎回言葉に発することは違うかもしれない。曖昧で、でもわかりたくてもどかしい。

それに触れた人が、より新鮮で生き生きとした状態になること。存在の輪郭がよりハッキリすることに喜びを感じるんじゃないか

自分いかして生きる(ちくま文庫)/西村佳哲


本を好きな理由のひとつが、まさにこれじゃないかなと思っている。文章に触れることで自覚する。何に惹かれて何を思うのか、本という媒介を通じた著者との会話であり、自分との対話の時間だから。
そういった時間を重ねる中で、ふと言葉が立ち上がる。受け取ってきた言葉たちが自分の中で再構築され、考えとして発することができるようになる。そのことがすごく自分にとって大切で、おそらく揺らぎない根幹である。

忙しない時間の流れもあって、それはそれで楽しいけれど、だからこそ気がつけた余白の大切さ。 


追記:
まったく別々に読んだのに、クルミドコーヒーの影山知明さんが、「西村佳哲さんの『自分をいかして生きる』から多大なインスピレーションをいただいている」と明かしており、ものすごく本同士のつながりを感じた。巡り合わせってやっぱりあるんだなぁという嬉しい気持ち。

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