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映画記録「関心領域」


もし配信でこの映画を観ていたら、私はオープニングからエンドロールまで一度もスキップせずにいられただろうか。後半にかけてこれは「現在の自分」を指している、と気づいたとき、今まで感じたことのない恐怖に襲われた。

定点カメラで淡々とヘス一家の様子を映し出していて、まるでホームビデオかドキュメンタリーを観ているみたい。何も説明はされず、下手すると退屈に思えてしまうような穏やかなシーンが続く。しかし、その景色とはそぐわない悲鳴や銃声、エンジン音が遠くから聞こえてくる。画面の中にいる人物の表情は何も変わらない。聞こえているはずなのに平然と当たり前のように日常を過ごす家族への違和感が中盤からだんだんと膨れ上がってくる。

一人ひとりに焦点を当ててみてもそれぞれに狂いを感じたが、特にルドルフの妻、ヘドウィグが強烈だった。無意識的に行っている「見たいものだけを見る」「自分が手に入れた幸せを絶対に手放さない」という徹底的な態度が印象的。ユダヤ人から搾取した毛皮のコートを試着し、母に豊かな庭を誇らしげに自慢し、ルドルフが去ることになっても生存圏である家に残り続ける…しかもここ以上に幸福な住処はないと強く主張するところがまた怖い。母親が家を出た後、ユダヤ人である家政婦に対し、その気になれば灰にして地面に撒ける、と吐き捨てているシーンも、彼女の侮蔑と狂気が現れていて嫌悪感を抱いた。途中赤ちゃんにダリアが綺麗ね~と見せて、庭の花がクローズアップされるシーンがあるが、あれも遺灰を肥料として育てた花たち。美しい花たちの映像の後、画面に向かって血がにじむように背景が赤くなっていったのが不気味に感じられた。

唯一収容所に直接関与している父、ルドルフの精神もまた作中で歪んでいく様子がうかがえる。効率的な焼却炉の設計を進める場面、下方の悲鳴を耳にしながらも平然としている場面が最初の方に描かれる。あくまで職務をまっとうしているのみで、そこに私的な感情は見られない。妻とは別のベットで眠り、スキンシップもない代わりにユダヤ人女性と身体の関係があることが示される。事後や川遊びの後、身体を執拗に洗うくせに、性的な捌け口にするのは違うやろ、と思うが。「どうやったら効率的に人を殺せるかを考えていた」もうその時には取返しはつかない。

単身赴任からアウシュビッツの家に戻る知らせを受け、事務所の階段を下りていく際、ルドルフは2度嘔吐する。現代の博物館を清掃する人たち、大量に積み上がった靴…あのラストシーンで、あの家族は現代の私達とどう違うのか、無関心の先にある未来を想像することはできるかと、一気に観客に矛先が向けられる。ものすごい装置だ。鑑賞者として安全なところから家族の一部始終を眺めていたところ、エンドロールでものすごい圧で畳みかけられた。その夜は予想通り、うまく寝付けなかった。


「関心領域」は見たいものを見て信じたいものを信じる、不都合な真実に無関心な私達への強烈なメッセ―ジを残す。何回も見たいとは正直思えないけれど、体調を崩すことを見込んででも劇場で体感できてよかった。怖かったとか恐ろしかったとか、なんかそういう一言ではまとめられない。どうか「この作品を観る」という消費を手軽に行うようなことはせず、腰を据えて劇場に向かってほしいと思える作品だった。



記事を読んでいただきありがとうございます。 みなさまよい一日を。