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いつかやろうと思っていたことを、やりはじめるのに必要なこと


いつかやろう、ということはたくさんある

いつかやろう、と思うこと。
いつかまた読み直そう、と思う本。
いつかまた来よう、と思う場所。
そういうのってよくある。それって、いまはその意味がなんとなくしかわかっていなくて、もう少しわかりたいなと思うこと、であることが多い。その時ハッキリわかってない。でも心の、魂の、何かに触れている。そういうこと。もしくは、いまやりはじめるには自信がないこと。

必要なのは…いま、どうしてもやりはじめなきゃという衝動

私は割と、急に「これだ!」とひらめいたり、「いまだ!」と思ったりすることがある。だから割とフットワークが軽い。いつかやろう、ということも、いつか・・・とふたをする前にサクッとパカっと開けてパクっと食べていることは多いとは思う。
それでも、いつかやろうと思っていることはたくさんある。前述のように、その時はまだ、その意味が何となくしか分かっていなかったり。自信がなかったりしていること。それが行動にうつるときがある。意味が分からなくても、自信がなくても、急にすっくと立つ感じ。それは、人生レベルで心震える何かが起きた時。そして、それをなかったことにしてはいけないと、魂が叫ぶとき。ちょっと伝わりにくいかもしれないけど、そういう時、急に、「いま、どうしてもやりはじめなきゃ」の衝動が起きる。

いま、やらなきゃいつやるんだ、とじわじわ駆り立てるもの

とはいえ、やっぱり自信がなくて気持ちがシュリンクすることもある。「衝動」が起きている時は、自分の中のこびとが、はっぱをかける。「いま、やらなきゃいつやるんだ」と。これで動かなきゃ、一生動かないやろ?と。ちょっと脅しにかかるのだ。

自分の考えていることを、ちゃんと伝えたい

抽象的なことをいいがちな自分、何のことを言っているのかわからないように、一般論かつ抽象的に、ぼやかす。すぐそういうことやる。それは結局、「いつかやろう」の種類と変わらないということを自覚する。つまり、何となくしかつかめていないこと。または、自信がないこと。いや、つかもうとしてなかったり、自分で自分をはぐらかしている。どうしてもあからさまに愚痴を言いたいけど、あのことを言ったと人に悟られないようにぼやかそうとして抽象的になることもよくあるけど、それも、そう、はぐらかしてるのだよ。でもね、自分の考えは、ちゃんと伝えなきゃ伝わらないのだ。もう、伝えられてないこと過多で、倒れそうだ。

そういうタイミングに、事件は起きた。いつか来ると思っていたことが、急に起きた。父が他界した。圧倒的な現実。もうほとんど頼っていないと思っていたのに。その存在は大きかったのだ。魂が叫んだ。自分の足で立ててないじゃないか、って。こんなに大人になったのに、まだどっかで頼っていたってホンマか!って。

2014年に、上司が急逝した。その時も、魂が叫んだ。今辞めなくてどうする?って。あの人はもういないんだよ。あの人と一緒に仕事ができなくなったんだよ。いくら給与がよくても、組織にネームバリューがあっても。自分の足で立って仕事しようよ。って。

そこから丁寧に準備して、立ち上がって、試行錯誤して、ちょうど10年。ちゃんと、10年、試行錯誤を重ねてきたんだから。大丈夫だよ。伝えられてないこと過多なのを、これから丁寧に伝えていこう。いつかやろうと思っていたそれを、やることにする。

いろとりどりの経験を、活かす

2018年に個人事業を立ち上げたときにつけた屋号「とりどりワークス」。じわじわあっためること5年。いろんな仕事を経験してきた。そういうんを、活かしていく。


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