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癒す、ということについて

日常の中で自分を「癒す」行動をとることは往々にしてあるけれど、
それが果たして本当に、「自分を癒してくれているのか」ということについて
今まであまり考えたことがなかった。

たとえば残業で帰りが遅くなった日の夕食。
生活をサボること=自分を癒すこと の思考回路で、
コンビニで適当な夕飯を買い、携帯をいじりながら夕食を済ます。
胃袋は満たされるものの、不思議な虚無感。
おまけに自分を大切にできていないという少しの罪悪感と寂しさ。
そういうものもまとめて胃袋に押し込んで、眠る。

朝だ、気がつけば朝。
前の日に睡眠時間を少しでも多く確保するため、
コンビニ弁当で済ませたにもかかわらず眠いのだ。

そしてこの特有の気だるさ。
新しい1日が始まったというのに、このザマ。

ここで思う。

全然癒されてなくない?
昨日コンビニ弁当にお金を払い、
適度にため息などつきながら急いで寝る支度をし、
布団に潜った自分を思い返す。

やっと気がついた、もしかして違った?

本当にわたしがしたかったのって、
サボることじゃなかった?

お味噌汁だけでもいいから自分の手で自分を温め、
明日を思ってため息をつくことすら忘れて布団に潜った後、
こうやって文章を書いてみたりすることだった?

わたしの縁だけを満たすようなやり方じゃなく、
わたしの中身を満たしてくれるような、
そういう「癒し」をいつも選択できるような大人になろう。

なんて、考えたりしてます。


おやすみ、世界。



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