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自分の過去のセッション

ゲシュタルト療法ってどんなもの
なにするの、やったらどうなる?


自分のワークについてfacebookに経験を
記したものがあったので転載します。


ざっくり大雑把、解像度も粗い文章ですが
なんとなくでもイメージできる、かな。
一例として。


ゲシュタルトは、やりがいたっぷりです。


下記は2018.2.22の記録です。



****







ゲシュタルト療法のセッションは、
受ける人(ワーカー)やファシリテーターや
その場によって大きく
影響を受けるので
一見、脈絡無いように展開されます。

私の場合(当時参加していたコース)は、
グループワークで複数の人たちと
供に受けています。
もちろん個人ワークをしている場所もあります。

文章に起こすと、より一貫性もなく
意味がわからない、と感じられるかも。

こんなことをしている療法があるんだなぁ、
だけどこれで気持ちが、日常生活が
楽になったり、
辛かったり困ってる自分のクセが
消えていくことこともある
ということをシェアしたく
書き起こしてみます。

心理療法とは、ざっくりいうとメンタルケアと認識しています。
疲れたからマッサージを受けて
しっかり癒して整える
メンタルのメンテナンス。
私にとってはそうゆうフランクなものです。


人によって捉え方は様々かと思いますが、
ゲシュタルト療法において自分の場合は
「日常生活を送る上で困っている自分の癖、
嫌な部分、どうにかしたい事柄」を
テーマに挙げることが多いです。

テーマは本当に何でも良くて

・何故かあの人に会うとイライラする
・会社へ行きたくない
・悲しい思い出や気持ちが消えない
・頭痛持ちで困っている
・繰り返し見る夢が気になる
・昔の辛かった経験を思い出してしまう
・やりたいことがわからない
・昇進のチャンスだけどうまく仕事ができない

などなど。何でもいいのです。
困ってること気になること以外、これからのことや
迷ってること、将来の夢についても。


今回は、先月からモヤモヤしていることを題材にしてみました。
以下はテーマにしたこと。


先月、練習の場で自分が
ファシリテーター(セラピスト)をする場があり
そのときにワーカー役を担ってくれた人が、
セッションを終えた時の感想で、
「よかったよ」と言ってくれました。

がしかし、自分はその言葉を
受け入れることが出来ず
「ホントに?ホントに?」と
何度も詰め寄ってしまいました。

その人は、「本当だよ、よかったよー」と
繰り返してくれたのですが、
素直に受け止めることが出来ずに、
うーむ、と考え込んだところ、
あれ?こないだも同じような感触を
得たことがあったな、と。

それは、昨年会社にて上司に、
自分がADHDだということを
知ってほしくて
診断書を提出したときのこと。
上司は、それについて
「教えてくれてありがとね、
 これからもよろしくね」と
言葉をかけてくれたのですが

「ホントに?ホントに?
  安心していいの?真に受けていいの?」と
内心、疑心暗鬼になっていたことを
思い出しました。

その後、数日間経過してから、
申告前と申告後とで何の対応も
変わらない上司を目の当たりにして、
「あの言葉は本当だったんだなぁ」と
心から安心感を得ました。

がしかし、
それと同時に、言葉をくれた時すぐに
上司を信じることができなかった自分自身に
強い自己嫌悪と、申し訳無さを感じたときのこと。
それは徐々に自己否定に繋がります。

私ってだめだなぁ、薄情だなぁ、
自己保身ばかりで最低だな。と。

この二つの経験から、
自分は人を信用できていない事実に気づいて、
そんな自分が嫌だな、
本当はすぐに相手の言葉を受け入れたいのに、
という息苦しさがありました。


そして昨日、
自分のセッションの時間を頂いたときに、
ファシリテーターの方へ、
今困っていること(上記の内容)を申告しました。

複数の人が周りにいる中で、自分のことを話します。
多くの人がそうだと思うけど、
自分の体験や気持ちを言葉にして人へ
伝えようとすると感情が動きだします。
蘇ってくるというか、赤面したり、
声が小さくなったり、震えたり、
止まったり、流暢に話せなくなったり。

「自分に優しい言葉をかけてくれる人の
言葉が信用できないみたい、
そんな自分が嫌だ」
と話す私を見ながら

ファシリテーターは、話の内容もだけど、
私の体の動きについて指摘します。

涙が浮かんできていることに気づいていますか
今、あなたの内側で何が起きていますか

とか。
何故、涙が浮かんできたのか、
その感情にフォーカスすると
「怖い」というワードが浮かんできました。
何が怖いの?と尋ねられます。

「言われた言葉を真に受けて
(自分に都合よく受け取って)
それが私の勘違いだったときに、
傷つくことが怖い」

「勝手に勘違いして
 『そんな意味じゃないのに』と
 思われて嫌われるのが怖い」

「ADHDが原因かはわからないけど、
昔から周囲の人と受け取り方や
感覚がズレてるみたいで
変に目立ったりして
またそれを目の当たりにすると傷つく、
それが怖い」 

体の震えや硬直や涙とともに
色んな感情が生じます。

急がないでいいよ、ゆっくり、ゆっくり、
その「怖さ」に居場所を作ってあげて
とファシリテーターに促され、

ゆっくりと「怖かったんだなぁ」という
今まで無意識だった感情に集中し、
溢れてくる感情に体を委ねます。

この時点で、自分自身もすごく
驚いていました。

なぜならゲシュタルト療法を始めてから
最近は割と楽観的に生きられてるように
感じてたし、もう随分と
克服したつもりでいたから、
まだこんなに恐れを持っていた事実が
衝撃的で。

はっきり覚えている事柄は
ここくらいまでで、
あとはぼんやりとした記憶だけど
とにかく、怖くて、震えてくるし、
訊かれたことにもうまく喋れなかったり。

だけど、何も問題は無くて。
ファシリテーターはいつも
私(ワーカー)の感覚と共にいてくれます。
自分の内側に入りすぎているときは

「私(ファシリ)の目を見て
私の目を見て「怖い」と言ってみて」

と外部とのコンタクトを促してくれたり。
体験して驚くのだけど、
目を閉じていたり
床を見つめながら「怖い」と
一人で言っている時と
誰か(ファシリ)の目を見て
「怖い」と口にするときの、
その感触の違い。
誰かに伝えられた、
聞いてもらえたという安心感。
とても温かくて伝えられたという
感触がわきます。

その後、いくつか実験を提案されました。
例えばそれは、周りのみんなに
「あなたの言葉を私が勘違いして
受け取ったら嫌いますか?」と
聞いてみること、とか。
いくつか提案されたけど、
どれも試したい衝動は起こらなくて、
何も選択できなかった。

だけどファシリテーターは、
動揺することも、眉間に皺を
寄せることも無く、常に私が、
そのときにどうしたいか、
私の感覚とともに居てくれました。

その後どんな風に経過したのか、


勘違いして受け取ったら嫌われると思っているのね
誰に嫌われるの?

そう訊かれたときに

「みんな、周り、世間」

そんな漠然とした対象を答えたと思います。

それらに何て言いたい?

というようなことを聞かれて

「押しつけないで」

と感情が出てきました。

「受け入れて欲しい、、、
いや、違う、否定しないで、
あなたたちと感覚がズレていても、
これが私だから
受け入れなくてもいいから、
存在することを否定しないでほしい
ほっといてほしい」

ファシリテーターは、
すごく納得が言ったわ、そうね、
色々言われたくないよね、
エリナちゃんはエリナちゃんだから

と言ってくれたことを覚えています。
続けて、

エリナちゃんはずっとこのワーク中に、
体(体制)を後ろに退けていることに
気づいている?ゆっくり後ろに
体を引いていることに。
あなたはその選択はもう出来ているから、
新しい選択を加えましょう。
「押しつけないで」と言いながら
私を手で押してみて

そう言って対面している
ファシリーテーターは
顔の前で手をクロスさせ、
ゆっくり私に近づいてきます。
私も、同じように手をクロスさせ

「押しつけないで」

という言葉とともに、
自分のクロスさせた手を彼女の手にぶつけ、向こうへ追いやります。
泣きながら、途中、止まりながら、
それを何度か繰り返したときに

「言葉と行動が少し
しっくりきてない気がする、
もっとぴったりくる言葉は無い?」

と聞かれました。
(押しつけないで、は受身なので、
私自身が選択した、能動的な言葉へ
変える事を提案してくれたのだと思います)

改めて自分の感情、
感覚に耳を済ませたときに

「干渉しないでほしい
 あっちへ行って」

という言葉が出てきました。

それ!それを言いながら
もう一度私を追いやってみて
と促され、先のクロスでぶつかる動きを
再開します。

私は、
「あっちへ行って!」
といいながら、彼女を追いやります。
何度か繰り返すうちに、涙が止まり、
声も大きくなってきて、
次第に気分が晴れてきて、
気持ちの良さを覚えます。

あ、私、初めて自分で距離感を作っている、
調整している、と気づきました。
今までは、自分がズレている節があることを必死で隠して生活してきたから
それを出して自分の意志で、
人との距離を調整することが
無かったんだ、と。

その私の様子を受けてファシリテーターは
始めのテーマに戻りたい?と問いかけます。
私は同意し、当初の話題に戻りました。

ワーカー役の人が「よかったよ」と
言ってくれたことを思い出して

と促され、それに感情を
フォーカスしたとき
目まぐるしく自分の中で
色んな想いが生じました、爆発、みたいな。

なんか、

勘違いしたっていいじゃーん!
だってそうゆう言葉をくれてるんだから!

と強い喜びみたいな明るい気持ちが、
当初とはまったく異なる気持ちが湧き出た

みたいな。

次の瞬間、思わずその、ワーカー役を
やってくれた人のほうを見て
(ご本人もこの日の講座に参加されてたのでした)
「ありがとう!!」と大きな声でお礼を言えて、
この時点で、ダーっと嬉し泣きが生じてました。
それを受けてファシリテーターから
「もう、今日はこれで終わっていい気がするんだけど」と提案され、
私も同意し、セッションを終えました。

その後に
やり残した未完了(気になる)部分が
あったので、再度、時間をいただき

「あなたに言われた言葉を、
私が勘違いして受け取ったら
(喜びすぎたりしたら)嫌いますか?」

と言うことを、
その場にいたメンバーひとりひとりへ
尋ねました。
(これは途中ファシリテーターが
提案してくれたことで、
セッションの最中は
やりたいと選択できなかったけど、
あとでやりたいなと思っていたこと)


みんな思い思いに答えてくれます。


・全然気づかなかった
・そうゆうところが在るのは前から知ってたよ
・素直ということだと思う
・そうゆうところ結構好きです

色んな感じ方があって
自分の予想がまったく外れることが
あることを経験しました。

今回のセッションは、
なんだか隕石にぶつかったような
ものすごい衝撃的なもので、
初めて、文章にしたい、
残したいと思いました。
昨日は、その後もう
脱力しちゃって体が宙に
浮いているような
そんな現実味の無い状態で
ぼーっとしていたんだけど、
徐々に自分の中で消化することが
出来た感じがする。

最後に、ワーカー役をやってくれた人に
改めて
「本当にありがとう!」と笑顔で伝えたら
「信じてもらえてなかったのね、
そう思われてたことが逆に悲しいわ笑」
と笑顔で返されました笑

ですよねー、と苦笑するしかできず。
けど、これからは誰かに言われた言葉を、
恐縮はするかもしれないけれど、
素直に受け止められそう、
そんな風に思えます。

グループワーク、私は好きです。
人ってあったかいな、ってとても思えるし、
そんな風に感じるんだね、私と同じだね、
と共感することも出来たり。
そんなふうに感じるんだ!全然違うね!
って場合も新しい視点に気付かされたり。
初めてのころは、全然知らない他人の前で身の上話をすることは怖かったけど、
今は、人っていいもんだなぁと感じています。



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ここまでお読みいただいた方、
もしいらしたらありがとうございます。

上記は一例です。
ファシリやワーカー、参加者や
その場によって、セッションは異なります。

いつもワーカーが涙するわけでも
辛い思いを話さなければ
ならないわけではありません。

セッション(ワーク)はワーカーが主体です。
ワーカーが能動的、主体的に
自分のしたいことを行なっていきます。

ワークによっては、
過去な自分になってみたり、または
その場を見に行ったり
その場にはいない、いつもふと浮かぶ誰かと
対話したり、
繰り返し見る夢をとりあげたり
その時の気になるもの
例えば故郷の山と対話する、もいうような
ケースもあります。


写真は上記のワーク日の最後に
この日のファシリテーターさんと。
泣き腫らしてボロボロ、頭もボサボサ
6年前なので34歳の頃。


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