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動きと呼吸をそれらに合わせて

それは毎回突然に決まる。15時に新宿駅のホームで集合。京王線のホームの三番線で待ち合わせ。定期的に高尾山に登る。常々考えていることを聞いてくれる友人と一緒に。なんのために山に行くのか、その答えをひとことで明言するのは難しい。だが、語るのが目的でないと言ったら嘘になるであろう。

日が暮れ始める。山特有の湿り気と時間による温度の変化を肌で感じる。常日頃もやもやする材料をあちらこちらに放り投げる。道中で洗い晒しにする。登れば登るほど、汗とともにお互い綺麗になっていく。余計なものが身体から抜けていく。下山する頃には脳が静かになっていて、それに呼応するかのように辺りは一面漆黒の闇となる。電灯もない夜の静けさに二人ぼっちで残される。

ふと立ち停まると、”すべての生き物たちは自分の世界でつよく生きているのだ” となにかに語りかけられたことに気付く。それらは、見えない圧力に乗り移って、日々の忙しなさで忘れようとしていた人間のちっぽけさと浅ましさをありありと思い出させてくるのだ。その怖さを。その高揚感を。枝が一本、空中で不自然に折れるだけで警戒してしまう自分を。きっとわたしたちはこの感覚を愉しみに向かってしまうのだろう。これが本来のすがたとどこかでわかっているから。もうだれも最初に話していた内容を覚えていない。いや、山たちは完璧に記憶しているかもしれないけれども。そんなことは既に重要ではない。

こうして今日も意気揚々と清く正しく恐れ慄く。それらは揺らがない。まっすぐ。決して見えぬ源泉から未だ見ぬ消滅点まですうっと延びていく。

この静寂というものまでに五月蝿い存在を、わたしはまだ知らない。


どうも〜