怒ることが苦手だ
私は怒ることが苦手。
イラッとしても、表に出さないことを選んできた。
怒ることは幼稚。
怒ることは周りの迷惑。
怒ることは自分の損。
そんな風な言葉が私の怒りを抑え込んでいたんだと思う。
押さえ込んでいる分、すぐに感情的に怒鳴る人を見るとすごく不快に感じたし、そういう人に八つ当たりされると「感情をコントロールしろよ。大人気ないな」とかずっと思ってた。
私の場合は怒ってなさすぎることが問題だった。自分が不機嫌でいる時間が長い。
自分の大切にしたいもの、考え方、価値観。
それらを守ってくれる最後の砦の『怒り』が脆弱で、大切なものをが踏みにじられる経験を何度となくしてきた。
あれだけ嫌っていた『怒り』は実は自分を守ってくれているものだったなんて。
人から指摘されるまで、気づかなかった。
今こそ、私の大事なものを再び守ってあげるための試練の時。
だから私は今怒りを出す練習をしている。
一人の部屋で、クッション相手に怒りを出そうとしている。蹴ったり、殴ったり、捻ってみたり、引っ叩いてみたり。。。
罵詈雑言を浴びせながらやっている。
でも、我に返って、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなってしまうこともある。
しらけてしまうこともある。
怒りの言葉にセーブがかかってしまうこともある。というか、今はずっとそんな感じだ。
行動に気持ちがついてきていない感じ。
でも、やる気と一緒で、行動しているうちに出てくるものだとしたら、感情→行動ではない。行動→感情なのだ。
行動しなければ一生出てこないのが、私の『怒り』の特徴のようだ。
普通の人が聞いたら、気が狂ったのかと思うだろう。わざわざ怒りをだそうとするなんて。
でもそれをしないと、私は次には進めないようである。
感じないようにしてきた怒り。存在を無視してきた怒り。それが報いとなって、いまの私に問題を起こしているのだろう。
しばらくは、私の中に封じ込められた怒りと付き合っていく日々が続いていくと思われる。
怒りを出し切った後には何が待っているのか未知で不安だけれども、今やらないと一生怒りには悩まされ続ける気がする。
ここが正念場。怒りを出すのだ、私。
誰も傷つけてはいない。一人の部屋でクッションを痛めつける行為は誰も傷つけてはいない。
だから大丈夫。
しばらく「なにやってるんだ」と自分に落胆する日が続いても、やらなければ、私は変わらないだろう。
人を傷つけないようにするのはいいことだ。でも、そのために自分を傷つけていては元も子もない。これも順番が大事。自分→相手。
自分を大切にすることができて初めて、本当の意味で相手を大切にできる。
まずは自分なんだ。
溜まっている怒りを出し切るまで、私は諦めんぞ。
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