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#15 日常生活

 今回のちまき作りは下準備の日を入れて3日間で終了。おば達がそれぞれの家に帰っていって、その翌日、日本から私の友人が子連れでうちに3日間。その翌日にまた別の日本の友人がたまたま台北に来ているのを知って、近くで一緒に綠豆蒜を食べ、うちに寄ってちまきをお土産に持って帰っていってもらった。この家は本当に親戚とお客が絶えない。よっぽどそういう風水なのかな。日本と台湾と、オンオフがあっていいね、と先日言われたけど、オフになったという感じもあんまりない。ライブだレコーディングだという仕事の話は確かに少し遠景になっているけど、そんなことを思う間もなく、まるで別のエネルギーがめらめらとオンになっていて、目の前で、家族のモーレツがあちらこちら絶え間なく立ち上がってきている。
 今もリビングで、おばの一番小さい孫の不良化問題について、母がLINE電話でおばと話し合っている。キッチンにお茶をいれに行こうと母のいるリビングの横を通ると、電話の向こうのおばの声が少し聞こえて、アルコールが混ざっているのがわかる。おばに何かが起きると、まるでしばらく寝かせていた柱がゆっくり起こされていくように、母の逞しさのオーラもみるみる起きてくる。こういう時の母は顔もツヤツヤ輝いて見える。

 「孫だからって、你還是要小心。一番可愛がってくれてた阿媽のこと、『金をくれなかった』ってナイフこうやって。殺されて、バラバラにされて、山に捨てられて。そういうのいっぱいあるんだから台湾」
 「こういうのはね、1回あったら、これで最後なんてことは絶対ないよ。1回、2回、3回」
 「ああ、下っ端で使われてるね」

 キッチンで母とおばの電話を立ち聞きつつ、東門市場横のオーガニックのお店で買った花蓮産山苦瓜茶のティーバッグをマグカップに入れる。絵柄がかわいくてお気に入りのマグカップ。底の面に Hi-Life 萊爾富 と書いてあるから、コンビニのなんとかフェアみたいなので買い物してシールを集めて、誰かがゲットしてきたんだろう。カップには鹿と恐竜が一つになって前髪が生えたような想像上の動物の絵が描いてあって、その反対側に、
 「愛因斯坦は言った。『想像力は知識よりも重要だ』と。」
とプリントされている。
 あい、いん、す、たん。
 アインシュタイン、確かにそんなことを言いそう。中国語で書かれた外国名がなかなか覚えられない。アインシュタインとカタカナで書いてあったらあの白黒のアインシュタインの写真がすぐに思い浮かんでしまうけど、愛因斯坦と書いてあるので、中国語の知識のない私は、伝説のタタール人の学者みたいな人物を想像して少し満足する。
 
 山苦瓜茶の入った愛因斯坦と想像の動物のマグを持って、自分の部屋に戻る前に、ちょっとリビングに寄ってソファに腰かける。おばとの電話をひとまず終えて、頼もしい姉のオーラをまとって発光している母と、おばの3人の孫たちについて話す。おばの孫1とその女朋友について。女朋友と一緒に住んだらもう家になんて全然寄り付かないよ。帰って来るのは、バイクでスピード違反して家に切符が届いた時だけ。今うちに住んで半工半讀してる孫2について。一番しっかりしてるのはこの子。我先賺錢って自分で言って。おばの家で暴れた孫3について。
 「言ったのよ、我的高中也有不良少年。あんなふうになるって。」
 10年ほど前に母が通った台北の定時制高校で、同級生だった全身刺青の不良少年たちについて。同級生の不良2の両親について。不良1の彼女について。刺青について。刺青の除去の痛さについて。不良1に「我最討厭原住民」と言われたことについて。
 

 母の通った定時制高校には、不登校の子たち等に混ざって、子どもの頃に教育を受けられなかった50〜60代くらいのおばさんチームと、全身刺青の不良チームが存在していた。台北都心の原住民がほとんど住んでいないエリアの学校ということもあり、クラスで原住民は母一人。台湾では原住民に対してアファーマティブ・アクションがあるので、学費の補助を受けられたり、試験での加点があったりして、学校では、陰で、目の前で、いろんな形で嫌味を言われる。おばさんチームのおばさんたちは、学費補助がほしいうらやましさに、
 「欸,這麽可以當原住民啊?」
 と授業中、母に、どうやったら原住民になれるのか聞いてくる。1円でも得するなら原住民でも外国人でもなんでもいいから今すぐ申請してなってくるから教えてくれという風情だ。
 不良は不良で、まじめな母が成績優秀で表彰されて、先生に呼ばれて前に歩いていくと、
 「我最討厭原住民。」
 と、母に、教室中に、聞こえるようにわざと呟く。

 原住民まじで一番ムカつく。

 不良野郎にすれ違いざまそんなことを言われたら、高校生の私だったらどうしてやろうか。シンプルに無視するか。聞こえてないふりして教室の前から表彰状を持って微笑んで、もっとお前をムカつかせてやろうか。そいつの席まで戻って面と向かって言い返してやろうか。それともそういう時に反射的に一撃お返しできるようなジョークを常にいくつもストックさせておくべきか。母の話に相槌を打っている2秒くらいの間に頭をフル回転させていると、
 「小孩子不懂事嗎。」
 と母が言う。キラっとした目で、たのもしいオーラをつやつやさせて、私とは全然余裕が違う。私だってそいつくらいの子どもがいたっておかしくないけど、母にとってはもう孫の年だ。高校の教室で、孫みたいな小孩子の不良少年に原住民がああだこうだと絡まれるくらい、
 「かわいいんだよね。あの子、先生にお前もう一回言ってみろって言われて、我最討厭原住民、原住民愛喝酒、だって。ああいうの見ちゃったんだろうね、わかるよ。うちにもいるよ、真的很煩啊。」
 と、ベロベロになった時のおばの真似をして、笑っている。

このところ曇りの日が続く。
公園とかその辺の木のうろに、誰が置いたか、蘭の花がよく咲いている。


 日本と日本の生活を離れると、日本語オンリーで人とコミュニケーションをとるという行為からも離れていて、日本語と日本語の世界ですっかり埋め尽くされていた私の空間に、少しずつ、あちこち隙間ができてくる。少し開いた隙間から、感情とか、まだ言葉になる前のいろんなものがほぐれていく。その感覚を、日本語でなんとかすくいあげて、こうして書いていく。

 先日友人に誘ってもらって河岸留言にライブを見に行って(原住民ミュージシャンのライブ、ライブハウスで見るのは実ははじめて。しかも河岸留言で!)、その帰り道、
 「エリさんの note ってどれくらいの時間で書いてるんですか?」
 と聞かれた。羅斯福路あたりで、素朴な質問なんですけど、と彼らしく前置きをして。いつも大体午前中、お昼までに書いちゃう感じかな、一晩寝かせて後で見直す時もあるけど、とその時答えたけど、今思うとそれは日本にいる時の私のやり方だった。日本の私はそうだ。日本の生活の大体のことはやり方が決まっている。朝起きて、朝することいろいろしてひと段落したら、イーストで買ってきたコーヒー豆を挽いて、コーヒーを淹れて、私の仕事はライブとかリハーサルとか午後以降の予定になることがほとんどなので、その準備を始める前に書いてしまう。

 でも台湾で書こうと思うと、そんな簡単にはできない。まだこちらでの生活を組み立てている途中だからというのも一つあるけど、とりあえずコーヒーを淹れるまではほとんど同じ感じでできる。豆はイーストじゃなくて烘培者咖啡か藏田咖啡豆專賣で買っているけど、家からお店まで歩いた距離は、イーストも烘培者も大体同じくらい。藏田はすぐそこだからもっと近い。藤沢だったら大家さんの畑の野菜売ってるくらいのところに藏田がある感じ。お湯は日本だとちゃんとその都度沸かすけど、こっちでは母の電気ポットのお湯を使ってしまう。首の細いポットでハンドドリップするのが美味しいんだろうけどなと思いつつ、母のキッチンは中華鍋で炒めものをする仕様になっているのか、ガスコンロも家庭用とは思えない凄まじい炎の上がる火力で、うちにあるやかんも野球部みたいに巨大で、注ぎ口の細いコーヒーポットなどとは全く無縁の世界になっている。キッチンの端の、昔からずっと同じその位置に置いてある象印のポットから、お湯をじょぼじょぼコーヒーを淹れて、自分の部屋に戻る。

 ここから、ものすごい時間がかかる。どんどんかかるようになっている気がする。家族のあれこれの中に自分も生きているので自分のスケジュールだけで動くということがありえない、というだけではなくて、台湾で私のいる世界はごっそりと、日本語の世界ではないところにある。日本語という道具を使って描かれたことのほとんどなく、日本語という道具を使って覗かれたこともほとんどない世界。日本語だけではなく、中国語でもない、英語でもない、それどころか書き言葉で再現されたことのほとんどない世界にいる。そもそもタイヤル語に文字はない。タイヤル語の世界に書き言葉の世界はない。アルファベット表記はあるけれど、タイヤル語で話される言葉を片っ端からアルファベットで表記しても、世界を表すことはできない。そもそも私たちはもはやタイヤル語だけで話さない。タイヤル語が、中国語が、台湾語が、日本語が、英語が、広東語が、そしてそのすべての間が、話されて、話されず、その中に深く入れば入るほど、私と私の家族が生きている世界を「書く」のは、慎重で繊細な仕事になっていく。
 そこを質問するなんて、さすがだね、と友人のことを、少し私と似たルーツの、きっと彼なりに時間をかけて生きている友人のことを思った。

 さて今日は久しぶりに台湾で髪を切ってこようかと。雨も降らなさそうだし、台風が来る前に、ちょっと出かけたりしようかな。

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