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1/30/24(火) 夕焼け

 今回は特にライブなどの予定を入れず、なかなかできなかった事務作業とかピアノの練習とか、台湾でゆっくりできてかえっていいかも、くらいのぼんやりした気持ちで帰ってきたんだったけど、ところが全然そうならない。世の忙しい人からしたら超スローペースだとは思うが、私にとっては、まるで突然大きな渦巻きの中に、ほい!と放り出されたように、ぬおーーーっと物事が進んでいく。時にはこういうのもいいかも。渦巻きなんだとしたら、私は余計な力を抜いて、水の抵抗を小さくし、流線型で浮かんでいたらいいのだろうし。

 いとこおばは具合がよくならず、明日の朝、母とおばが病院へ連れて行く。台湾で一般的に、病院へ一人で行くというのはものすごく辛いことだとされている。小さいクリニックだったらいいけど、大きい病院に一人で行くなんて、びっくりするし、信じられないし、そんな可哀想なことをさせるなんてとてもよくないことだ。付き添う、といった意味の「陪」という動詞を私たちはよく使う。大病院へ行くのは誰かが「陪」するべきこと。私は、自分にしては最近突然忙しい、というのを理由に、明日いとこおばを「陪」するのを躊躇している。いとこおばは具合が悪いので朝一番で病院へ行って受付してもらいたいという。それは当然のことだ。私は、流線型で浮かんでればいいはずだった自分が、バタフライをしなきゃいけないみたいな気持ちになって、まだ明日の朝になってないのに心がもうじたばたしている。

 明日早起きをしなきゃいけないというのに、リビングで母と話しこむ。昨日、寝る前に孫大川先生の文章(下村作次郎先生訳)をもう一度読んだ、そのことを話した。「母の歴史、歴史の母」を昨日久しぶりに読んで、母にも読んでほしいと思った。正直なところ、母の日本語の読解力で読める文章ではない。でも母には何かそれでも感じるものがあると私は信じて、私なりに、こういうことが書いてあってね、私たち原住民はね、こうこうこうだ、って孫先生は思ったんだって、だって本当に私たちそうでしょ、他講的很深很深、有沒有、おじいちゃんとおばあちゃんもそうだったじゃん、中国語もわからないのにずっとテレビ見てた、那個表情。私たちは歴史の外にいる、って。夕焼けみたいだって。夕焼け、夕焼けから暗闇。そこにいるって。一生懸命すぎないように、でも一生懸命、母にどうしたら伝わるのか、母の表情をじっと見ながら、なんでこんなに、明日早く起きて用意して、いとこおばを病院に連れて行くのに、真夜中にリビングで。母も母で今日は遅くまで起きている。円形脱毛症またできた、右と左、兩邊呢、と母が頭の左右を指でもみもみしている。愛之助がやってきてコーヒーテーブルに座る。

 

 

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