2/8/24(木) 母語
また寒くなってきた。私が尖石鄉に行っている間、台北は29度もあったらしいが、今日はずっと15度前後。夕飯の後、大安森林公園にウォーキングに行こうとしたら雨が降ってきたので、ウォーキングはおやすみ。
今年は「家族会議」を作品にできたらいいなと思っていて、書きためてきたメモにあるアイディアを並べて眺めている。音楽作品と、対応関係にあるような本のようなもの、セットで作れたらいいなとノートに図を書いた。
音楽作品の方は、アルバムという形で録音物をつくることになるはず。まだ録音していないオリジナル曲、特に「家族会議」という私のソロ弾き語りライブのタイトルとなったきっかけの、タイヤルの家族にあてて日本語、タイヤル語、原住民訛りの中国語で書いてきた曲たちは収録したい。
母語は何かと聞かれたら、それは日本語・タイヤル語・原住民訛りの中国語が混ざって出来上がっているクレオールだ。長い間、母語をたずねられたら、今自分が話す言語のうちどれか一つを選んで回答しなくちゃいけないように思ってしまっていたけど、私は生まれた時からこのクレオールを聞いて育って、このクレオールを母と話してきて、おじいちゃんおばあちゃんともこうやって話してきたんだから、これが私の母語だ。そして最近、よく台湾に戻るようになってふと気がついたのだけど、いつか母がいなくなる日、私にはこの母語を話す相手がいなくなる。そのことに気がついた時、心が凄まじくひんやりとした。人生の後半、私は長い時間を、自分が最も親しく感じる言葉を、誰とも話すことなく、一度も口にすることなく生きていくのか。もちろんなきゃないで全然やっていけるというか、今すでに母以外の誰かとこの言葉を話すことはないから困ることもないのはわかっているけど、母と一緒に私の最も親密な言葉もこの世からなくなる、その後の人生って一体どういう感じのものなんだろうか。
部屋でマオリの古い音源を1時間ほど聴いた。
寒くなってきたからお茶でも淹れようと思ってキッチンの方へ行ったら、
「なんかすごいの、你到底在聽什麼東西啊?」
と母が笑い出しそうに聞いてきた。最初はタイヤルかと思ったけど、よく聴いてみるとタイヤルじゃないし、ちょっとお経っぽいけど違うし、ものすごい宗教でも信じるようになったかと思って、と言うので、違う違う、とノートパソコンをリビングに持って行き、久しぶりに母と一緒にいろいろYoutubeを見た。愛之助も寄ってきた。
たぶん母の周りのおばさんたちがみんなそう言うからだと思うけど、母は YouTube を、ゆーてゅーびー、と発音する。Tの部分はしっかり空気を漏らし、中国語の四声でいうと全部第一声で発音する。私たちは、ゆーてゅーびーで、マオリの最近の比較的最近の音楽を聴いたり、ソフィアが教えてくれた結婚式のハカを見たり、これマオリの歌に似てない?とブヌンの malastapang(報戰功)を聴いたり、アフリカのリズムについての短編を見たり、いろいろ見た最後、タイヤルのドキュメンタリーをいくつか見た。苧麻のこと。刺青のこと。
苧麻は母には懐かしく、刺青や刺青をしているおばあさんも懐かしい。苧麻は桃園の方で文化復興が進んでいるらしく、映像では私より少し年上の感じの人が、おばあちゃんの畑とそっくりな苧麻の畑を世話して、母が子どもの頃したのと全く同じように糸を紡いでいる。
2019年に亡くなった、タイヤルの刺青をしていた最後の女性。苧麻は復興したけれど、女性の顔への刺青は復興するかしら。刺青は日本統治時代に日本人に禁止された。明日になったら日本人が刺青の道具を取り上げに来る、と知らせがあって、まだ刺青をする年齢ではなかったけど、慌ててその日のうちにすることになった、とその人は言っていた。刺青をする民族が刺青を失うと、その民族はどうなるのか、とドキュメンタリーの語り手が問いかけてきた。
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