少女と悪魔1(短編・天使と悪魔シリーズ39話)
【天使のことが大好きすぎる悪魔と、彼に惹かれていく天使の、見た目BL小説群の39話目です。(これまでの話はマガジンをご参照ください)】
しだいに秋の気配が近づきつつある街並みを、考え事をしながら歩いていた。
悪魔としての仕事は順調だった。天使たちの妨害はあれども、それは遥か昔から続くいたちごっこ、もしくは永遠に決着のつかない綱引きのようなものだ。世界は善か悪かのどちらかに偏るものではなく、おそらくは、そのバランスの上に成り立っているのだろう。しかしそんなことを言おうものなら、俺のご主人サマの機嫌はたちまち悪くなるに決まっている。ご主人サマとしては、世界をいつか天使たち、ひいては彼らの主人の手から、引き剥がしたくてたまらないのだから。しがないひとりの悪魔としては、余計なことは言わずに口を噤み、粛々と与えられた仕事をこなすしかない。
それにしても、こうも働き詰めでは、使い魔たちが疲弊してしまうに違いない。悪魔の中には、使い魔をそれこそ使い捨てのように扱う者も少なくない。使役する側の俺たち悪魔と違って繁殖できる者もいる使い魔だが、とは言え、無駄に数を減らしたり、家族を死なせたりするのは、結果的に彼らのモチベーション低下に繋がる。そうなれば簡単にこなせる筈の仕事にも差支える。だから俺は、出来る限りは使い魔たちの事情を鑑み、適度に休暇を与えるなどしている。百を下らない彼らの管理は面倒ではあるが、それを怠った場合に起きる不具合の方が、よほど面倒なのだ。
そろそろ、どこかで彼らに休憩を与えてやらなくては。
家事雑用まで積極的にこなしてくれるコウモリの連中を思い浮かべたとき、右手から飛び出して来た何かに体当たりされた。
「おっと」
見ると、俺に当たって来たのは人間の少女だった。沈みかけた夕日を反射して輝く金髪が、俺の腰の辺りで揺れる。さっと俺を見上げた青い瞳が、言葉より早く、彼女の窮状を俺に伝えた。
「助けて……!」
人間の手助けなど、する必要はない。ましてや、それほど魂に重みのない無垢な子どもの手助けなど、何の得にもなりはしない。しかし、その髪と目の色は。
反射的に、少女の姿を小鳥に変えようと、指を鳴らしていた。自分はばかだなと思いつつ、変身した少女を抱えようと見て、目を疑った。少女は少女の姿のまま、俺の目の前で震えている。
「お前、まさか……」
思い当たる可能性はいくつかあったが、そのどれも、俺にとって、これが面倒ごとでしかないということを示唆していた。しかし、うろたえている暇はない。少女が駆けてきた方向から、誰かが追いかけてくる足音が近づいて来た。
「嬢ちゃん、そこの茂みに」
少女が出てきた邸宅の門から入ってすぐ、庭の茂みを指す。少女は頷いて、素早く隠れた。身長が小さいから、かくれんぼは得意だろう。頭まで見えなくなったのを確認したとき、俺の前で足音が止まった。
「なんだ。誰かと思えば、貴方でしたか」
俺を見るなりため息混じりに言った男は、よく知る悪魔仲間だった。清潔感のあるスーツに身を包み、眼鏡や時計、靴まで上品なもので揃えた知的な風貌を装った男は、きょろきょろと辺りを見回した。
「久々にお会いしたので、積もる話もあるにはありますが、今はそれどころではありません。少女を見ませんでしたか。金髪碧眼の、人間の少女です。ある仕事で始末しなくてはいけないのですが、使えない使い魔が取り逃がしましてね」
「ふうん。いや、あいにく俺は見てないね。ところで、どんな仕事なんだ? 手伝えることがあれば……」
俺が言いかけると、男は冷淡に首を振る。
「別に、必要ありませんよ。手柄を取られるのも不愉快ですし。ご主人様から言いつかった仕事は、きっちり自分でやり遂げます」
「オーケー、承知した。ま、もし人間の少女を見かけることがあったら教えてやるよ。スタンドプレーじゃ上手くいかないこともある」
俺の言葉に曖昧に頷いて、男は街路の方へ走り出した。その背中が完全に見えなくなるのを確認してから、茂みの方へしゃがみ込む。
「もう大丈夫だぜ。追いかけて来ていた怖いお兄さんは、どっかに行っちまったよ」
少女はようやく立ち上がり、まだ恐々と辺りの様子を窺っている。だがまあ、これで当面は見つかることもないだろう。俺に出来ることはしてやったし、面倒ごとはごめんだ。
「それじゃあ、俺はこれで失礼するよ。ヤバい話は警察に言いな」
そう言って踵を返したが、ジャケットの裾を掴まれてしまった。
「あのなあ嬢ちゃん……」
どうやって説得しようかと振り向いて、眼に入ったのは今にも泣きだしそうな潤んだ瞳だった。
「お、お兄さん……、ひとりじゃ私、……」
どこかあいつを思い出させる顔で、そんな風に涙ぐまれては、どうしようもなかった。さっきの悪魔が絡んでいるとなればどう考えても面倒ごとでしかないのだが、しかし、まあ警察に連れて行くくらいのことはしてやってもいいだろう。
ただし、そうとなればひとつ、確認しておかなくてはいけない。
「嬢ちゃん、俺のことをよく見ていてくれ」
不思議そうに見つめる少女の前で、俺は変身し、ハイスクールに通うくらいの年頃の少女の姿になって見せた。長い髪は少女と同じ金色を選んだ。しかし、青い瞳の少女は、驚いた様子を見せず、声もあげない。
「嬢ちゃん。今、俺のことはどう見えている?」
「え? どうって……」
「髪の色は、性別は」
「黒髪の、かっこいいお兄さん……」
やっぱりだ。
俺は元の姿に戻り、ため息をつく。面倒ごとが二重に重なっていることが確定した。人間の中に稀にいるという、魔法も奇跡も受け付けない、特異体質。俺の変身も効かない。話に聴くばかりで、実際に存在しているのかも分からないほどに珍しい体質の持ち主が、こんな風に目の前に現れるとは。
「お兄さん?」
黙ってしまった俺の顔を、少女が覗き込む。金色のツインテールが肩に揺れ、暗くなり始めた街路に、再び灯り始めた陽光のように輝く。
考えても仕方がない。警察に送り届けるまでの間、一緒にいるだけだ。何かあったときに誤魔化すのがひたすらに面倒だが、それまでの僅かな間に「何か」があるとも思えない。必要以上に気にせず、さっさとやることをやってしまおう。
「嬢ちゃん、名前は」
「ダイアナ……。ダイアナ・エバ・クラーク」
祖先は聖職者、ミドルネームには楽園を追われた女の名前ときた。ファーストネームだけは古代ローマの女神から来ているものだが、何にせよやたらと神聖なイメージの名前だ。
「よし、それじゃあダイアナ。俺が警察署まで連れてってやる。そうしたら、そこでお別れだ。その後は、警察の優しいおじさん達に、起きたことの全てを話せ。ああ、俺には話さなくていい。面倒ごとはごめんだ」
ダイアナはこくりと頷いて、再び俺のジャケットを掴んだ。警察署の方へ歩き出しながら、この年頃の少女を連れていてもおかしくない年齢に変身する。先ほどの悪魔や、その使い魔の連中にさえ会わなければ、これでなんとかなるだろう。職場から帰宅する勤め人たちの波に逆らうようにして、通りを歩く。小走りでついて来るダイアナが、ふと尋ねてきた。
「ねえ、お兄さんの名前は?」
「悪いが、嬢ちゃんみたいな子どもに名乗る名前の持ち合わせはないんだ」
言葉通りの意味で、本当だった。誘惑する対象に会わせて姿形から名前、来歴、その他さまざまな設定を考えて運用するのが悪魔だが、子ども相手に仕事はしない。だから、子どもに名乗る名前など持っていない。
「じゃあ、お兄さんのお仕事は?」
「……あのなあ。俺はただ、警察署まで嬢ちゃんを連れて行くだけだ。そんなことを言う義理も必要もない」
答えながら見ると、ダイアナはちょっと頬を膨らましていた。
『ご主人様、あの娘……』
そっと耳元で囁いたのは、伝令用に重宝しているコウモリの使い魔の一匹だった。その姿は人間には見えないが、ダイアナの場合はどうなのか分からない。
「面倒ごとは拾わない。ただ、警察署まで連れて行くだけだ」
『そうですか。それならよいのですが。あの娘、かなり変わった体質ですから、関わり合いにならない方がよいかと』
「ありがとう。そうするよ」
ホッとした様子で、コウモリは離れていく。
「今のコウモリ、何? お兄さん、もしかして、お話してた?」
ああ、やはり使い魔も見えるのか。
あらゆる誤魔化しが効かない人間なんてものほど、厄介なものもない。我慢する必要もないかと思いつつもため息を堪え、歩いているうちに、警察署のつまらない外観が見えてきた。
「ほら、あれが警察署だ。あと少しだけついて行ってやるから、そこから先はひとりで行きな」
「……うん」
建物の手前、数メートルほどの所で俺は変身を解き、ダイアナの手をジャケットから離した。小さな手は、子どもらしくなく冷え切っている。少女は大きな目を不安げに瞬かせ、俺を見つめた。
「お兄さん、ありがとう」
「礼なんかいい。ほら、行ってこい」
ダイアナはこちらを振り返りつつ、警察署へ駆け足で入って行った。その背中を見送って、すぐに立ち去るつもりだったのだが、なぜだか踏ん切りがつかずに、重厚そうなガラス扉から目が離せなかった。さっさと足を動かして帰るべきだと思いながら、数分間、そうしていた。すると、ガラス扉が勢いよく開き、髪を二つ結びにした小さな少女が飛び出して来た。
「……ああ、畜生」
悪魔の予感は、無駄に当たる。それも、いやな予感ほど、よく当たるのだ。
「ダイアナ!」
俺の呼びかけに、少女は目を見開いた。驚きに開かれた口が、苦し気に歪む。出てきたままの速度でこちらに駆けて来たダイアナは、俺の手を掴んだ。
「警察の人の中に、さっきの怖いお兄さんもいたの!」
ああ、そういうことか。
何者かに襲われて住む家を追われ、ゆく当てのない小さな少女が頼るのは、近隣の警察しかない。ならば、そこで警察に混じって待ち受けているのが、あの悪魔たちにとって最も簡便な方法だ。
同じ悪魔としてその可能性に即座に思い至らなかった自分に歯噛みしたくなるが、そんなことをしている暇はない。俺は掴まれた手を取って、闇に沈みつつある小道を選び、走り出した。
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