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ヴァン・ナチュールがわからない

ここ数年で、ヴァン・ナチュールが好きというひとがまわりにも増えた。

ワイン業界ではなく、普通の知り合いや友人の間に。

ヴァン・ナチュールというのは、英語ではナチュラルワインともいわれ、日本語では自然派ワインともいう。

詳しい定義を説き始めると諸説あったり話が難しかったりなので、ここには書かないけど、「できるだけてを加えず造った自然なワイン」と書いておこう。

自分でも「ヴァン・ナチュール」と呼ばれるものは飲むけど、なんとなく、わたしはこれをわかっていない。

嫌いだとか美味しいと思わないとか、そういうことではなくて、なんというか、評価の仕方がわからないのだ。(業界のみなさん、恥を忍んで言ってますので、どうかお見逃しを!)

なぜなら、よくある「ヴァン・ナチュール」の味は、もともと勉強してきたワインにない基準を持っている。そこを、整理しきるほど飲み込んではいないのが問題なんだけど。

とある有名レストランのソムリエさんは、「あれは発酵したジュース」と言っていて、まあそれはそうだなと納得した。「発酵したジュースのまま」がワインの正しい姿だというのが、「ヴァン・ナチュール」なのだ。でも、この場合の「発酵したジュース」という発言には、深みがない、とか、芸術性に欠ける、とかいう考えが含まれていると思う。

ひとことでいうなら、「美味しいんだけどね〜・・・」という感じ。

わたしは友人にビオデナミもヴァン・ナチュールもつくっている人たちがいるので、まったく否定する気はないし、むしろ彼らのワインは飲むたびに体に沁み渡るようで、幸福感さえ感じる(美味しいものは)。

それでも、やっぱりわからないと思う。

これって、自分が新しいことを受け入れたり、変わることを拒否しているということなんだろうか?

わたしはここ数年、こう考えている。

自分の基準をアップデートできないほど、歳を取ってしまったのか?もともとの性格なのか?なんにしろ、「ヴァン・ナチュール全盛」の今についていけてないのは確かで、それはこのワインに限ったことだけでなくて、全部のことに通じる。自分は、変われていないのだ。

ワインのことについて書く人よりも、動画やミニムービーで「おすすめ、めちゃ旨!」ってやってる人のほうが、ワインを売っているという。そこについていけてない自分は、追いつけていないのかな。

コロナが始まって1年。そろそろ身の振り方を考えないと、と感じつつ、うだうだと考え事ばかりしています。

なんて、暗くなってしまう、いけないいけない!

ページトップの王冠は、もはやアルザスにおけるヴァン・ナチュールのカリスマといっても過言ではない、ピエール・フリックのベルクヴァインガルテン2013のもの。濃いゴールド、優しい酸化のニュアンス、紅茶、秋の葉っぱの香り、口いっぱいに広がる甘くない濃厚なりんごジュース。近所のスーパー割引価格で10.5ユーロ。良い熟成具合だけど、今までどこにいたの〜?心地よい飲み心地でした。こちらでは品質の劣化を危惧して、すべてのワインにコルクではなく王冠を採用しているそうです。

なんでも、良い方に変わっていかないとね。コルクを王冠にするようにね。

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