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過去の自分を迎えに行く~『すずめの戸締まり』

先週公開され話題になっている
すずめの戸締まり』観てきました!

実は新海誠作品を映画館で観るのは初めて。TwitterのTLでの評判がとても良かったので行ってみる気になりました。


(以下、ネタバレも含みます)

東日本大震災のことを描いているのは知っていたのだけれど、まさか被災していない自分まで震えるとは思いませんでした。それくらい後半の描写は「体感として」リアリティがありました。

(地震や津波の映像があるというよりは、イメージとしての"それ"が強烈)

元々私は「地震」が超が付くほど苦手。

普段 大概のことには動じないのに、地震に関しては ほんの少し揺れただけでフリーズするほど怖いので、映画を観ていて「これはヤバイ」と半分感覚をシャットアウトしました。なので、本当はもっと涙が出るであろう場面も少ししか出なかったのが残念…



「本作は、過疎化や災害により増え続ける日本の廃墟を舞台に、喪失の記憶を忘却した少女と、椅子に閉じ込められてしまった青年のそれぞれの開放と成長の旅を描く、劇場用アニメーション映画である」
(配布された『新海誠本』より)

私はすずめと草太のラブストーリーというよりは(もちろんその要素はある)彼らとその周囲を巻き込んだロードムービーであり、「過去に封印した痛みや悲しみを迎えに行く物語」でもあると感じました。


ずっと忘れ去られていたそれ。

間違いなくそこにあったのに、放ったらかしにされていたそれ。
 
どの人の心の中にもある廃墟。

災害を巻き起こす扉が”そこ”に繋がっているのは さもありなん、です。


”閉じ師”でもある青年 宗像草太の言葉で耳に残ったのが

「人の想いが土地を鎮める」(意訳)

というものでした。
 
異界との扉を「閉じる」ときの呪文があります。
 
『かけまくもかしこき
 日不見(ひみず)の神よ 
 遠つ御祖(みおや)の産土よ
 久しく拝領つかまつった
 この山河
 かしこみかしこみ
 謹んでお返し申す』

 
我々が自然(神)から借りて住んでいるこの世界が、人間の勝手で荒れ果てている。そこに溜まる邪気を「閉じる」とき、何をもって「お返し」するか。 

ありふれた日常と
そこに暮らした人々が
交わした言葉。

誰かを見送り 迎え、
また会えると信じて送り出す。

その繰り返しで築かれた
幸せな気持ち。

そんなささいなことがと思うかもしれないけど、荒れた土地を鎮めるのも、また”過去のすずめ”の断ち切られた痛みを救ったのも、成長したすずめが積み重ねた「そんな日々」だったのではないでしょうか。





私は今回この映画を一人で観に行きました。でも途中から誰かにそばにいて欲しかった。

地震もそうだけど、感情が溢れ出している過去のすずめの声が辛かった。「過去に向き合う怖さ」に気づき、震えている自分に寄り添って欲しかった。何も話さなくていいから手を握っていて欲しかった。

感覚を閉じなければならなかったということは、まだ向き合えていないんだろうな…。





スピリチュアル方面のお仕事をしている知り合いが「登場人物みんなライトワーカー」と言っていました。たぶん、新海監督も。(わかる気がする)

その人が言っていた「なんかすごい映画でした」という感想に同意です。完璧に表現する言葉が見つからず「なんかすごい」としか言いようがない(笑)

観る人それぞれの”レイヤー”に届くものが綿密に詰め込まれた作品だと思います。今のこの時代を生きる覚悟と、限りある命の意味をしっかりと身体の芯に植えつけられました。

いろいろ細かく見直したい部分があるので、あと1回くらい行くかな?行かないかな?わからない。

でも、誰もが1回は観てみたらいいんじゃないかなぁ。