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“伝統工芸”って。

京都には店舗があり、たびたび、地場の職人さんを紹介して頂いたり、私自身もいつか住んでみたいなあと思う街でもあり、休暇を過ごすことも多い。
京都には47の(指定されている)伝統工芸があり、そのほとんどが“絶滅危惧種”だといわれている。後継者が不在、需要が激減、現代に合わずに衰退の一途であることも聞いていた。

そんな京都で、先日伝統工芸に従事される方々とお話しをする機会があり衝撃を受けた事実があった。
初めて知ったのだが、京都市が定義する「伝統工芸」とは「100年間変わらない技法と道具を使うこと」とされているらしい。
 
私は勉強不足でその定義に、仰天してしまった。
「そりゃ、続かないわ・・・」って内心思っちゃった・・・。

「伝統」って、道具や技法に様々な改良や改変を積み重ねてこそ、時代を跨いで受け継がれるものではないのかな・・・と。
それなのに「同じ道具であり続ける」っていう定義を打ち立ててしまうのは、むしろ衰退を促していると感じるのは私だけだろうか。

ある伝統工芸は尼さんの髪の毛を素材として使うらしいのだが、「最近では尼さんはショートヘアーの人が多くて、長い髪が取れずにこれはもうなくなりかけています」と説明を受けた。
 
「・・・」
 
絶句してしまった。リアルな尼さんの髪を使うことがその工芸にどこまで大事なのか。人毛の代替を見つけて、活路を見出すことはタブーなのか。さまざまな疑問が頭に湧き出てきてしまい、やっぱり伝統工芸って不可解だなぁ、近いようで遠い存在だなぁと帰り道の新幹線で思い耽っていた。

何が守るべき対象だろうか。
使う道具は、絶対に進化させるべきだと私は思う。 

例えば、さまざまなモノづくりで使われる「糊」も、現在は水溶性、非水溶性さまざまな種類と乾きの速さや強さもバリエーションがある。
色をつける顔料も、昔は岩絵の具しかなかった時代から、さまざまな発色技術は進化しているわけだ。
そうした技術革新を否定しながら純粋な「継続」を行うことって、どこにゴールがあるんだろうか。道具の進化は、最終形態の進化をつれてきてくれるはずなんだけれど・・・。
 
手仕事に付加価値があって、それが金額に反映されていると許容されるのは、一般の目からみて、それが「伝わる」「感じられる」ときなんだと私は思う。

「伝わらない手仕事と、伝わる手仕事の違いとは何か」
 
私は手仕事が大好きだけれど、伝わらない手仕事に何十時間もかけるものはナンセンスだなってバッサリ、さっぱり、考えてしまうのですが・・・。
そんな自分は工芸への愛がないのだろうか・・・。
いいえ、愛があるからこそ、お客さんのご予算内で、届けたいって思うんですよね。みなさんは、どう思いますか。
 
こちらはインドネシアのジョグジャカルタでつくったリング。すべて手仕事でつくっていて、重ね付けもとっても可愛いのです。

Mameta (Ring)14,300円税込

<ERIKO YAMAGUCHI> 
2022.09.03 DEBUT

▼ERIKO YAMAGUCHI 2022AW COLLECTION
https://www.edot.jp/collection/ERIKOYAMAGUCHI/2022aw/

▼公式インスタグラム
https://www.instagram.com/erikoyamaguchi_official/


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