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ゼロのスポンジ。

3日前の16時頃、出産予定日を1日遅れて破水を人工的にし、陣痛促進剤を打っていた。

すでに子宮口は5cm開いていたため、ひどい陣痛だった。

ナースコールをして「すみません、部屋が寒いのでもう少し暖房強められますか?」と言うと「すでに28度ですよ」と言われた。

おかしいなあ。

震えが止まらなかった。

もう一度看護師さんが来た時に熱をはかってもらったら39度5分だった。

私の熱と共に上昇したのはお腹の子の心拍数だ。
通常160あたりがのぞまれるが200を超えてしまっている。

「すぐに先生を呼びます。」

助産師さんが慌てて外に出ていき、強い陣痛と、高熱と、震えにもだえていた。

先生がきて言った。
「山口さん、あなたと赤ちゃんのためにね、帝王切開をしたほうがいいと判断しました。よかったら同意書にサインしてください。すぐに処置室に入る準備を進めます」と。

「帝王切開・・・・。」

完全にノーマークだった分娩方法だ。

しかし、このままの状態だと母か子のどちらかに影響がある、と判断した医師の言葉に背くことができるわけない。

私はすぐに「先生のご判断に従います。」とようやく出た声で伝えた。

震えの中、よれよれの文字で同意書にサインし、すぐに麻酔科の先生が背中に注射をしにきた。

びっくりしたのは、その麻酔を打ちながら「処置室に移動しちゃってください」と注射をぐいぐい入れながら移動したことだった。

フラフラながら「ああ、そんなに緊急なんだ・・・・」と思った。
そして先生から旦那さんに連絡がいき、急遽旦那さんも病院にかけつけてくれた。

一瞬廊下ですれ違うことができた。

「がんばるからね」「うん、がんばろうね」という会話をした。

処置室につくと大きな照明で、思っていた以上の人数のナースの人たちが待機していた。さすが大病院だなあ、と私は変に関心していた。
「今からもっと強い麻酔を入れますから、下半身にしびれがきたら教えてください」と言われた。

「はい、わかりました。」「はい、大丈夫です。」「冷たさはまだ感じます。」
などちゃんとコミュニケーションは取れていた。
私には麻酔が足りなかったようで、追加されて、それから担当の先生が大きな声で「母子安全のため、これから山口絵理子さんの緊急帝王切開の手術をします。」と全員に伝えた。
(ああ、そういうルールなんだなあ)とぼんやりとした意識の中、思った。

それからは10分くらいだった。
痛みがないが、

体が裂かれた、

体が今引っ張られている、

体から何かが取り上げられる、

お腹から重さが消えた、

だからそれは我が子なんだ、

そのはずだ、

その瞬間、

首の方にかかっていたカーテンの奥から、泣き声と共に、血だらけの小さな小さな頭が顔を出したのだ。

「ほらー、お母さん、元気な赤ちゃんですよ!!!」と誰かが言った。

すぐに数人のナースが「おめでとうございます!」と言った。

不思議なのは麻酔は全身じゃないから、ちゃんと意識があるため、ちゃんと会話ができるし、認識できることだ。

その血だらけで粘着性のある液体が絡まった我が子を見た瞬間に、私は号泣し嗚咽した。

(この子が、10ヶ月共に人生を過ごした我が子なんだ。)

ようやく会えたんだ。

その感動で時が止まっている自分と、引き続き胎盤の処置などを猛スピードで行うドクターたちの時の速さのギャップが、なんだか私には、とても印象に残っている。


人は、ゆっくり歩くこともできるし、猛スピードで歩くこともできる。

同じ人の人生でも、ゆっくり歩く時もあれば、全速力で走る時もある。


私は今、ずっと止まっていたいくらいの瞬間にいるんだと思った。


全速力でかけぬけたマザーハウス創業からの15年。いや、39年間。

40歳を目前に、ずっと止まっていたいと思える瞬間が来るなんて、1ミリも予測していなかった。


神様、ありがとう。


「幸せ」って、こんなに幅が広いことを教えてくれた。
「達成感」って、今まで味わってきたものがある種のそれだと思っていたら、大間違いだった。
「感動」って、こんな究極的な次元の違うものもあるんだって、知らなかった。

明るすぎた照明が徐々に暗くなり、「もう大丈夫です。赤ちゃん、今きれいにしていますからね。すぐきますよ」と言われた。

私はおかしなことに、ドキドキした。緊張した。
そして、あの子が白いタオルに包まれて、顔の横にやってきたんだ。

その瞬間、私はまた自然と涙が溢れ、ようやく放った言葉は、

「はじめまして」だった・・・・・。

周りのナースの人たちがクスクス笑っているのを覚えているんだけれど、なんか、とっさに、それしか言えなかったんだ。


そして、次の言葉が
「早く旦那に、見せてあげてください」だった。
「え、もういいんですか?」と子供をもっていたナースが言った。
「早く!」と私は言った。

今思えば、もっと見ておけばよかったのだろうか。

でも、とっさに、そう思ったんだ。
そのわけは、この子の誕生を私と一緒にずっとずっと待っていて、つわりの日も、イライラの日も、憂鬱な日も私を支え、あかちゃんに何度も話しかけて、乗り越えてきたパートナーだから、瞬間的に、自分が見るよりも、「見せたい」って気持ちが本当にまさった。

「麻酔が効いているからね、ちょっとボーッとしていますからね」
と言われて、その通りだと思った。
意識がだんだんと遠くなって、寝てしまった。


今日、出産して三日経った。

帝王切開の後が、こんなにつらいものだったのか、ということも初めて知った。
部屋には、私と、スヤスヤ寝ている我が子がいる。
はじめてのおむつ替えも、はじめてのおっぱいも、はじめてのお風呂も、全てがはじめてだ。


告白すると、仕事と違って、私には今、なんのビジョンもない。

子育てのゴールなんてないし、母としてのポリシーなんてのもよく分からない。

やすやすと、かっこつけて今見つかる言葉の安っぽさはよく分かる。

確かにこの子の生きる社会が今より平和であってほしいし、そこに貢献できる人間でありたいが、なんとなく、それは子供のためにやることというよりも、山口絵理子として「社会のどの部分に責任持ちますか」という問いに近く、今までも変わらない。


母として思うこと。

後陣痛でうなっている夜中に、一つだけ自分に誓いたいな、って思ったことがある。

それは、「スポンジでありたいなあ」ということだった。

この子に何かを教えたり、与えたりすることよりも、

この子が教えてくれることをどんなことも吸収していきたい。
この子が導いてくれる全てのことをぐんぐん吸収していきたい。
そして、この子が壁にぶち当たったり、障害を迎えた時は、一緒に力んで乗り越えるよりかは、転んだ時のクッション材になれるくらいの存在でいたい。


そういう意味で、「スポンジ」じゃないかなあって思った。

新生児が終わり1歳、2歳と年齢を重ね、私の背丈より高くなっても、どんな時にも母として、スポンジでありたい。

”母親”とはどちらかというと「重さ」(想い)を感じる役回りが多いのかもしれないが、私はなんとなく、感覚的に、すごく軽いんだけれど、吸収力が半端じゃない母になりたいなあと。

例えば、子供が興味をもった虫について一緒に調べていたら、いつの間にか子供よりハマっちゃって、その虫の図鑑を買っている母親、みたいな笑。

そう、誘導するよりも、振り回されるくらいの勢いで、この子についていきたいな。


そして最後に、人はいくつもの顔を持っていても、それらはつながっているものだ。


母のとしての人格ができあがることで、自分の人生観も、ある意味仕事観も、変わるだろう。

変わらない方がおかしいし、私はそうしたものは、守るよりかは、思う存分、影響を受けてみたいと思っている。
(まあ、大前提として、自分のスタイルを守りたいと思うほど、スタイルなんて確立していないし笑。)


むしろ、どんな自分になり、どんな選択をしていくのか、母、デザイナー、経営者、女性という要素の化学反応を私はこれから素直に楽しみたいな。


0のスポンジへ。


出産レポ兼産後3日目の備忘録でした。

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株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナー MOTHERHOUSE, Jewelry MOTHERHOUSE, E. (イードット)デザイナー (株)ピジョン社外取締役, JICA外部諮問委員 insta: eriko.mh twitter:@erikomatri