見出し画像

お尻の痛いインド列車旅。

私は今コルカタにいる。

この国の手仕事、手織りの布(カディ)、ガンジーさんが作った「Freedom of fabric」自由を纏う布、というスローガンに心から共感して、2018年に飛び込んでいった。


まだまだこの国をわかっていないなあと思いながら、ちょこちょこ出張をしては、新しい気づきをくれる国だ。


コルカタは「ウェストベンガル」に入るが、南インド、北インド、州によって言語も肌の色も文化も根付く手仕事も違うから、おばあちゃんになる前に色々な探検ができればなあ、くらいに構えながらこの大国と向き合っている。


昨夜はコルカタから列車に乗って4時間、それから車で2時間半移動して、手織の村に行った。


列車は最強にローカルで、食べ物やおもちゃを売る販売員がひっきりなしに車両を歩いている。


その中で、辛いベビースターとか、赤い色をしたお煎餅を配る人たちから発生される臭いと、硬すぎるプラスティックの椅子によってお尻が痛くなり、仕舞いには日本人が珍しいためか、前の座席に座っていた女の子が仕切りに話しかけてくる、というおまけ付きで、疲労が最高潮だった。


ムシダバッドという村に着いたのは23時くらいだった。

ローカルなホテルに着いたのだが、結構寒く、あまり眠れず翌日に。


次の日は6時半から車をスタートさせ2時間も更に走らせた。

ようやく着いた村は、すごくノスタルジックな音や雰囲気が溢れている。

牛を糞を壁にくっつけて乾燥させているそれぞれの家から「カタカタ」と機織りの音がする。

彼らが織っている布を「カディ」と呼ぶ。

全ての家から機織りの音がしてそれぞれが独特の一つの音楽を形成しているように感じて初めて聞いた時は鳥肌がした。

なぜこの村なのか、というと、カディは手紡ぎで非常に細い糸を使う。繊細で切れやすい糸のため、織るためには高湿度な地域に限られて、それが「ベンガル」地方なんだ。



ベンガル語が通じる。だから私は機織りしている人に話を聞くと、「この20年間はなかなかオーダーが来なくて、少しずつ手織の人数も少なくなっている」と。


安くて品質の劣る大量生産の布が出回り、カディは存続の危機に瀕している。


そういう背景を知った上で、今洋服の素材として大事に活用させてもらっている。


発注すると時々織りのテンションがばらつきがあって(手織りだから疲れてくるとゆるくなってしまったりする苦笑)生地を送り返して、作り直してということも度々あるし、染めも一人のおじさんが鍋に染料を入れて、やっているものだから、ムラが出来てしまって、大問題になったりもする。


糸から服を作るというのは、服を作るだけよりも何十倍も面倒くさくて、機械であればあっという間にできることを何十人ものインド人が奇跡的なバトンリレーを成し遂げてやっているのだ。


先日も、織りムラが発生したので、この村で指摘をしたら、「それは紡いだ工程が悪いんだ。織りじゃない」と言い張ってきたりして、私は顔では怒っているんだが、ちょっと内心笑ってしまう時がある。


俯瞰して自分がやっていることを見ると、本気で「好きじゃなきゃできない」なって思う。


コルカタから列車を乗り継いで村にたどり着いて、生地についてインド人のおじさんと口論をして、できた生地をコルカタの工房で服にして売るなんて。


私は株式会社というものを運営しているんだけれど、こんなプロセスでものを作っていて、よくビジネスになるなあとふと思うこともある。


あまりにも面倒くさく、あまりにも途方もないプロセスの中に自分がポツンといるような虚無感に襲われると、いつも自分に聞くことがある。「果て、なんで始めたんだっけ?こんなこと」と。


人は盲目的に、規模や数字を追い求める。

それが増えていれば、自分の価値が上がったように思う。


確かにそれは一面では「成長している」証拠なので、私も経営者としては大事だと思うんだけれど、根本的に本質的に大事なのは、その順番なんだと思う。


「やりたいことを成し遂げる。その後にビジネスがくっついたきた」っていう感覚が超絶大事であり、「ビジネスを作るために、何かをする」という順番で何かをするとき、本当に心は踊らない。結果的に美しいものはできない。


私は、ガンジーさんが作った哲学が好きで、インドの布で服を作りたいと思った。それがお客様に届くように頑張る。結果ビジネスになったから、もっと布を作ろう、もっと人を増やそうと思うわけで。


そういう順番が大事であって決して、

「売上高A億円にするために、未開拓な地と豊富な資源が眠るインドで生産拠点を作ろう」ではない。もしそうだったらとっくに、やめた方がいい挑戦だなってわかっている苦笑。


別の説明の仕方があるならば、それはたぶん、結果なのかプロセスなのか、という問題。


私は人生に結果を求めていない。

何をやったら幸せですなんて言い切れないから。

そして世の中には一般的な大成功を収めても不幸な顔で生きている人たちが山ほどいる。

そういう人たちはきっと、特定の結果を手に入れたら幸せになれると勘違いしてしまったんだろうと思う。金メダルを取っても、有名になっても、上場しようが、使えないほど所得があろうが、幸せかどうかは約束してくれない。

だからよく外の力を借りて早く会社を成長させようという人がいるが私は、「なんで美味しいところを早送りしちゃうんだ?!」と思う時がある。私には経営者は失格なのかもしれないが人間としての自分を無視して、経営者になることをプロだというなら、私はなりたくない。

大事なのは、日々の生活の中で、誰と、どんな感情で生きていますか?っていうことだと思う。


私は尊敬し合える仲間と素敵な物を作り、それでお客さんが一瞬でも明るい気持ちになってくれる、そんな「生き方」を徹底したい。

より欲を言えば、素敵な物ではなく、世の中になかったような新しいものを仲間と生み出し、お客さんがワオって喜んでくれるものを生み出したい。


その積み重ねの日々を送りながら、途上国において、価格競争に陥る以外の方法を確立したい。個性を磨いてオンリーワンを突き詰めて、それでいて豊かな暮らしが成り立つっていう選択肢を、綺麗な言葉ではなく、実体の商品で証明したい。


国境を超えて、そんなプロセスを生々しく歩いていくのが、私の人生のエンジョイの仕方なんだと腑に落ちている。

日常生活で働いていると、何がスタートになったのかは意識しなくなるし、忙しいと忘れてしまう。


でも、こういう村に行って、素材の源流を辿ってみたりすると、スタートした自分自身に再会できたような感覚になった。


初心に帰るための、お尻の痛い列車旅だったなあ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?