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ひとりの人間として、「個」として生きるということ/『チッソは私であった』緒方正人著・河出文庫

今年12月、この本が文庫本となって世に出た。

自分も出版したことがあって、最近は特に出版業界も「売れるか」が本を作る基準のひとつになっていることはよく知っている。その中で、この本が文庫になって再度世に出るとは…もう本当に河出文庫さん、ありがとうございます!!この世も捨てたもんじゃない…じゃなかった、世界はなんて優しいんだろうか!!

緒方正人さんの『チッソは私であった』は18年ほど前、学生時代に出会った。私が通った法政大学社会学部には、環境社会学の先生がたが2〜3名いらして、水俣病についても講義でじっくり取り上げてくださった。そのときに何冊も本を読み、なぜこの病が起こったのか、その社会構造は何だったのか、責任はどこにあるのか、補償はどこに不備があったのか…若かりし無知な正義をかざしながら本を読みまくった。そして辿り着いたのが緒方正人さんの『チッソは私であった』の単行本だった。

緒方正人さんは水俣病が発生した、熊本県の不知火海ほとりの漁業のお家の生まれ。6歳のときにお父さんが水俣病を発症し、2ヶ月で亡くなった。その様子は重度の水俣病患者にみられる、まさに狂い死だったという。お父さんだけでなく、きょうだいにも水俣病が出て、甥っ子姪っ子には水俣病を抱えて生まれてきた胎児性水俣病の子もいる。そしてご自身も水俣病の痺れや頭痛を抱えながら生きてきた。

緒方さんは20代の頃、水俣病患者団体の先頭に立っていた。水俣病の原因の有機水銀排水を垂れ流した企業チッソや、それを容認した熊本県や国を相手に強くその責任を追求し、患者たちの生活の補償を訴えていた。スーツにネクタイの役所の人たちを相手に、スローガンを書いたTシャツを着て、激しい口調で、机をバンバン叩き、責任を追求する若かりし緒方さんの映像が今も残っています。

そして30歳を過ぎた頃、緒方さんはすっぱりと運動から身をひきました。その前に、狂ったように自問自答する3ヶ月があったといいます。そして辿り着いた想いが『チッソは私であった』

学生時代の私にはもうこのタイトルだけでも衝撃で。外部から変な正義をかざして水俣病を見ていた自分には、次元の違う話のような気がして、この本を読んで水俣病を追うのをやめた。というかもう、自分が恥ずかしかったのだと思います。以来、社会人になっても緒方さんのこの本は大事に持っていたのだけど…何度目かの引越しで手放してしまった。

そして今年2020年。こちらの記事でも書いた通り、今年NHK「100分de名著」をオンデマンドで過去のものを見るようになり、石牟礼道子さんの『苦海浄土』と再会した。そして、番組の4回目にゲストとして緒方正人さんその人が登場くださった。

初めてお声を聞いて、感動して感動して。もう一度『チッソは私であった』を読みたいと思ったけれど、絶版になっていて古本でもなかなか買えそうにない。手放してしまったことを後悔していたときに、文庫化の話を聞いた。ものすごく嬉しかった。即予約をして…12月はじめ頃に届いた。

前置きがとても長くなりました。

そうして2020年12月、読み返した『チッソは私であった』は、ものすごく新鮮な気持ちで読みました。というか本文はほとんど覚えていなくて、こんな内容だったのかーとゼロから読みました。

水俣病患者団体の中でたたかった20代のこと、その前のエネルギー溢れまくる波乱万丈な10代のこと、そして訴訟等の運動から離れての水俣病を伝える活動や生き方のこと…とても丁寧に語ってくださっています。

水俣病にかかることは、病そのものの苦しさはもちろん、差別や生活苦、認定申請をすれば嘘じゃないかと言われ、生きる糧であり共に生きてきた海を冒され、とてもここで言葉には表現できない理不尽な苦しみを背負うこと。その理不尽な苦しみに、恨み、怒り、加害責任を問うことは当然のことだと思うのだけど、緒方さんは本当に自分が求めていることは何なのかを自分に真っ直ぐに問うことができた人だった。

訴訟をやっていくと、見舞金やらお金の話になる。患者認定されると患者番号**番とつけられる。患者団体のひとりとして扱われる。声を大きく張って訴えても、チッソや行政からは私がやりましたという生身の人間としての加害者は現れない。自分が本当に求めているものはお金なのか。自分が訴えている相手はどこにいるのか。自分に見舞金が支払われても、今までに亡くなった人は納得するのか。人間はもとより、同じようにチッソの有機水銀排水で苦しんで死んだ鳥は?猫は?魚は?そして海は?

自分が求めているものは、本当は何なのか?

私は、今、水俣病患者として水俣病を語っているわけでもなく、水俣病患者として生きているわけでもありません、私の願いは、人として生きたい、一人の「個」に帰りたいというこの一点だけです。
(本書より)

ひとりの人間として生きる。自分として生きる。それってどういうことなのか。振り切った形だけれども、緒方さんは私たちに個として生きるとはこういうことじゃないかと考えてこられたプロセスを見せてくれる。組織の一人ではなく、社会の役割ではなく、ひとりの人として生きるとはこういうことと。

そしてひとりの人間として生きるとき、孤独にひとりで立つことではない。ひとりの「個」として立つからこそ、自然に生かされるひとりの人間であり、脈々と続いてきた命の繋がりの中のひとりの人間だと、感じられるようになる。

それは私たちに何も言わず与えてくれる自然への感謝であり、同時に人間が特に近代以降、自然の循環を無視して文明の豊かさを追い求めた人類の責任も負うことでもある。

これは水俣の方では、今までなかなか言えなかったというか、よっぽどの人にしか言えなかったんですが、チッソの人たちをいとおしくさえ思う、罪とか責任というものを共に負いたい、あんたたちばかり責めんばい。私も背負うという気持ちになったんです。で、「焼酎どん飲もい」ということなんです。(本文より)

時代は昭和から平成を終えて、令和になって。コロナさんは来るし、風の時代だとかいうし。そのなかで私は「個」の時代がきたなと見ている。ひとりひとりが自分の生き方は自分で決めて、自分の魅力を最大限に発揮することで輝く時代だと思う。私自身も、今この時代に、この肉体と、この感性を持った「私」として生まれてきたことを最大限生かしきり、自分として生き切りたいと思う。それってどういうことなのか。緒方さんはひとつの在り方を示してくれた。

与えられているものに感謝することで終わらず、人類の負の責任も引き受けること。それが人類全体の集合意識とつながるキッカケになるような気がした。

だから、この本は水俣病の記録の本でもあるのだけど、それで終わらない、人としての生き方を模索した思索のプロセス。緒方さんの問いかけは、2020年年末の今読んでもとても新鮮で生きた言葉だった。
この言葉を読めたことに感謝の涙を添えて。

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