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清田直紀「なぜ、日本は戦争したのか」を読んで、自分の歴史観を振り返る。

この本、知っていますか。


よかったら、読んでみてほしいです。

以下、私の本のまとめと、感想です。

⭐︎日本に誇りをもつために。

①「先の戦争」4つの言い方
1 太平洋戦争 主にアメリカの言い方
2 第二次世界大戦 主にヨーロッパ諸国の言い方
3 大東亜戦争 当時の日本政府が閣議決定した言い方
4 アジア、太平洋戦争 1980年代から使われ始めた言い方
⭐︎名前には想いがある。日本が大東亜戦争としたのは、欧米列強の植民地支配に対抗する「大東亜共栄圏」を作るための戦争だった。GHQが使用禁止にした。きっと、大東亜戦争という名前が思い出されるたびに、その想いを思い出すことを避けたかったのだろう。


②戦争までの道のりを簡単にまとめる。
1840 アヘン戦争
これで、清と連携ができなくなる。
イギリスが勝って、植民地化されちゃったからね。

1853 ペリー来航
それまでのアジア→植民地化支配されつつあった。残っているのは数カ国。

1894〜1895 日清戦争
日本→朝鮮の独立確保が目的。欧米列強に共に立ち向かってもらいたいという思いがあった。
清→朝貢関係に基づく属国としての関係を継続させたい。

ロシアも朝鮮半島を狙っていた。

1904〜1905 日露戦争
日本が朝鮮半島を直民地化するのを防止したかった。

日本勝利
アメリカ→オレンジプラン
ヨーロッパ→黄禍論「日本、恐るべし、憎むべし」

アメリカから南満州鉄道の共同経営を持ち掛けられる。これに小村寿太郎が猛反対。結果、合意した日米協定を日本が破棄。アメリカが、日本に不満をもつきっかけに。

1905 日本人排斥運動 サンフランシスコ市
1906 日本人児童を公立学校から排除
など

1910 韓国併合
朝鮮内に独立勢力が育たなかったから。

1919 人種差別撤廃提案 
日本が出すが、4回否決。最終案は、「人種差別撤廃」の言葉を入れずに提出。多数の賛成を得たが、アメリカが「全会一致じゃないから」として否決。(それまでは多数決だったのにね)

1922 日本人帰化不能(裁判所判断)

1924 排日移民法(アメリカ全土に)
この法案は、1952まで続く!なんと。

1929 世界恐慌

1930 ホーリー・スムート関税法
アメリカがめっちゃ高い関税をかける。
それに対して
イギリス、フランス ブロック経済
自国と自分の植民地優先。
ドイツ、イタリア 独自のブロック経済
でも、植民地が少なかったので、うまくいかず。
だから、民衆は強い指導者を求めた。
日本 大東亜共栄圏へ
これが、日本のアジア侵略と捉えられる。

1939 日米通商航海条約 破棄
輸出禁止しちゃうようとチラつかせられる。
アメリカ、イギリス、フランスは、中国に物資を送り続ける。(援蒋ルート)
代理戦争させられている状態。

1940 フランスと交渉。援蒋ルートを断つために、ベトナムへ軍を派遣。これにキレられる。
アメリカ 鉄くず輸出禁止。
経済制裁される。ABCD包囲陣

1941 8月 石油の輸出禁止

1941 11月 ハル・ノート

1941 大東亜戦争

1945 終戦

1952 4月 独立回復

⭐︎超、追い詰められてってるよね。
自分たちのしたことは間違ってなかった!って、
そんなふうに言っちゃいかんのだろうし、
実際そうなんだけれども、
自分たちが全部悪かったってそんな風に思う必要も
ないのではないだろうか。

そのとき、日本のために戦ってくれた全ての人のためにも、
事実を知り、
(情報を取りにいく作業が大事)
自分のあたまで考え、
考えたことを発信していく。
それが必要なことなんだろうなと
考えた。

未来のために


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