見出し画像

「ここにいたんだ」をくれてありがとう。

私は漫画の宇宙兄弟が大好きだ。

初めて宇宙兄弟に出会ったのは大学生の時だった。友人が貸してくれて、借りて読んだ翌日にそれまで出ていた全巻を買いに行った記憶がある。「これは将来、自分の子供に読ませたい作品だ」と心から思い、ずっと自分の側に置いておきたいと思った。

でも、私の周りにはあまり読者がいなくて貸してくれた友人といつも新刊が出るたびに話し、読み返した時もその時感じた事をシェアする、という事を彼女とだけしていた。27巻が出た時はオーストラリアにいるにも関わらず、彼女は日本の食料と共にわざわざ送ってくれたのだ。もちろん内容も素晴らしいのだけど、私にとっては特別な27巻でもある。

そんな宇宙兄弟友達が1人しかいなかった私だけど、関西から東京に来て「コルクラボ」というコミュニティに入った。入ったきっかけになったのも、宇宙兄弟をオススメしてくれた友人が編集者の佐渡島さん(以下サディ)の事を教えてくれて、イベントに遊びに行ったのがきっかけでコミュニティの存在を知り、自分に合いそうだったので入った。“宇宙兄弟を好きな友達が出来るかもしれない”という期待を密かに胸に。

入ってすぐに班活動など慌ただしくコミュニティ内での活動があり、「好きな漫画は?」と聞かれると「宇宙兄弟」と常に答えていたものの、まだ宇宙兄弟友達は見つけられていなかった。私自身まだなじめていなくて、遠慮していたところもあったのだけど。

そんな時、コミュニティ内のイベントで『宇宙兄弟のキャラクターをFFS理論で分析しよう』というイベントがあった。FFS(Five Factors & Stress)理論とは、「ストレスと性格」の研究において開発されたもので、人が恣意的、無意識的に考え、行動するパターンを5因子で計量し、ストレス値においてポジティブな反応か、ネガティブな反応か分析するものである。コミュニティのメンバーは全員受けていて自己理解、相互理解を促進するツールとして活用している。

そのFFS理論を元に宇宙兄弟のキャラクターを分析し、それぞれのキャラはどの因子を持っているか?など専門家を交えて考察をした。大好きな宇宙兄弟だからFFS理論を完璧に理解してなくても、キャラの事についてあれこれ考えるのは楽しい。その時はまだコミュニティに入って3か月ほどだったのでイベントに参加しているメンバーの事もそんなに知らなかった。そんな中たまたま隣の席に座っていたのが「まろん」である。

イベントの中で自分のFFSの因子と宇宙兄弟のキャラの因子を照らし合わせてどのキャラと近い?と検証している時にサディが「えりんはどうだった?」の後に「じゃぁ~隣の、くりんは?」と私とまろん(きっと栗を連想していた)を混ぜて名前を呼んだのが私達の出会いのきっかけだった。

まろんのことはコミュニティ内の掲示板などで名前は見かけていて、存在は知っていたけど話したことはなかったと思う。でもその「くりん」きっかけで一緒に爆笑して、更にまろんの発言を聞いていると宇宙兄弟にとても詳しそうだ…と思っていたので話かけたくてうずうずしていた。

イベントが終わり、一緒に駅まで帰ろう!と原宿駅までの帰り道、私たちは興奮しながら宇宙兄弟の話をした。何を話したかはちゃんと覚えていないけど、とにかくお互いに宇宙兄弟について熱く語ったのだ。一つだけ覚えているのは「私はムッタが大好きで理想の旦那さんなの!」ということは力強く言った気がする(笑) でもその帰り道の景色はとても覚えている。心から嬉しかったのだ。そしてイベントの課題として、割り振られたキャラの考察をもう少し深堀するという宿題があったので、お互い持っている宇宙兄弟の本を半分ずつ持ち寄って、考察会をしよう!という事になった。

考察会の当日、35巻が発売したばっかりだったおかげで、ネスカフェと宇宙兄弟がコラボしていて、宇宙兄弟のご飯や原画などが楽しめるイベントをしていたので二人で立ち寄った。わいわいキャーキャー言いながら、これはあのシーンだねと興奮して楽しんだ。

一通り楽しんだあと、考察会を始めてひたすら宇宙兄弟を読む、読む、読む…。考察している間も考察そっちのけで「このシーンたまんないよね…」とか「ここめっちゃ笑えるよね!」とか、ただただ好きなシーンを共有していた。そしてその話が全て通じるし、これわかるかな…と思う必要がなく、なんなら私より確実に詳しい!と心が躍ったのである。

そう、まさに宇宙兄弟でムッタが感じた「ここにいたんだ」の感覚だった。

その時、私はまろんには伝えられなかったけど、「仲間」に出会えた感覚がとても大きくて、本当に嬉しかった。まろんは私よりも宇宙兄弟に詳しくて、宇宙兄弟クイズの難問にも答えられる。シーンやセリフもすぐ出てくる。グッズもさりげなく愛用してて、宇宙兄弟愛に溢れている。私はそんな風にはなれていないけど、どっちの方が好きでどれだけ詳しいかとかじゃない。『お互いに好きなものが一緒』という繋がりが私にとっては大切で。

好きなものは何?と聞かれた時に「好きだけど、そんなに詳しくないから本当に好きと言えないかも…」という思考が邪魔をすることがある。好きなのに好きと言えないのだ。自分より好きであろうと想像する誰かと比べて、自分の好きはまだ甘いと勝手に判断して、その好きという気持ちを一旦置いてしまう。よくわからないものに遠慮しているのか、好きなのにこんなことも知らないの?と責められるのではないかという妄想。

でもそんな思考も邪魔することなく、私はまろんに繋がりを感じた。純粋に好きという気持ちを持っている「仲間」がここにいる、と。

それからというもの、宇宙兄弟の新刊が出るたびに「ここがよかったよねー!」と心から語ることが出来るし、何かと宇宙兄弟ネタを共有している。「私達の金ピカはどこにあるのかなー?」とか「ヤァマン!!」とか共通言語が沢山あることは本当に嬉しい。特に私が一番嬉しいのは、何かお互いに困難な事が起こった時も、宇宙兄弟の言葉を借りて「きっとこういうことだったのかもしれないね」と理解し合えることだ。励まし合えることだ。

そんな中、私が彼女と話したことで忘れられないのは、最近まで彼女が頑張っていたコミュニティでの本作りが終わった頃の会話で。本作りをしていた時の彼女は楽しそうでもあり、苦しそうでもあり、大変そうだった。それは肉体的にも精神的にも。なぜなら初めての本作りをしているからだ。未経験の事を本気で取り組んで、時間も精神も費やしていた。私はそんな彼女をすごいと尊敬していたし、応援していた。そんな彼女が無事に本を完成させて、ひと段落した時に伝えてくれた言葉が「出来ることしかやれなかったんだ…」と。自分一人では何も出来ず、自分はみんなより時間があったから時間を費やせただけだ、と。彼女の中では無力感みたいなものがぼんやりとあったみたいだ。それを聞いてすぐに出てきた言葉は

この言葉だ。私にとって彼女の活躍はすごかったと思うし、何よりも本作りに対しての愛情を感じていた。彼女がプロジェクトに関わり始めた時に「なんで本作りのプロジェクトに関わったの?」と聞いたら「一度作ってみたかったんだ!」と話してくれた彼女の顔を覚えている。やってみたいことに踏み出していた彼女の嬉しそうな顔だ。きっとそこから彼女の情熱は少しずつ火を灯していて、大きくなったり小さくなったりしながらずっと灯し続けていた。その結果が本の完成に繋がったと私は思う。

何かを頑張っている時、その事と向き合ったり時間をかけている内に今自分がやっていることに果たして意味があるのだろうか?とどうしても意味を探したくなる時がある。不安になる。でも自分が楽しんでやった結果、喜ぶ人がいるかもしれない。それ以上の事があるだろうか。やったことの結果が誰かの意味ある事になればいいんだ。ムッタが思ったこの言葉は、まさしく、まろんが頑張って楽しんだり苦しんだりして本を作った結果、その本を読んだ人が感動したり楽しんでくれたり、考えるきっかけになったりして『誰かの意味あること』になっていると私は思う。そしてその結果、いつか『彼女の意味あること』に私はなると確信している。その言葉を聞ける日をこっそりと私は待っているね。

これからも宇宙兄弟の言葉を通じて彼女とは繋がっていきたい。

まろん、「ここにいたんだ」を私にくれてありがとう。


※使用している漫画の画像は公式から引用しています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?