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今から私がいく道

私はある時に神様を信じてクリスチャンになった。

「神様から恵み、愛、などなどをいーっぱい受けたことを

この世で生きている人にも伝えて流していきたい」

と強く決意したのが、12年前。

ここ最近まで、避けてきた。生ぬるくなんとなくやってきた。
いや、それでもそれがその時の精一杯だったこともあるが。

私はなるべくクリスチャン色を出さずに、生活してきた。
聞かれたらまぁ言う程度。

休みの日に何やっているの?質問で日曜日は教会に行ってます恒例回答。

変なレッテル、スティグマを貼られることを嫌っていた。

私自身、特にそんなひどい扱いを受けたこともないのに。


それを取っ払う時期が来て、いよいよ変わろうとする出来事があった。

私からなんとなくで醸し出す雰囲気で神様の愛が伝われば良いな程度で考えていた程度から、もっと神様の愛を伝えていきたいと思わされた。


それは、神様から愛を与え続けられていたから、身から醸し出す程度では我慢がならない、もっと伝えたいという感じだろうか。

そんな思いは強くなれど、

動き方がわからなかった。

私はちょうど欲して、願って行動していたことがあった。

お産ができる助産院をする。

自然にその人らしいお産をサポートしたい、

そばで関わることによって、主の恵みを体を成して伝えることができると思ったからだ。

今まで病院などでしか働いたことがなかった。

お産できる助産院をするからには助産院の現場を知りたいと思い、
助産院の修行に入った。

日々学んでいく中で、どのようにすれば開業できるか、手続きなどのhow toはわかった。

しかし、ここで私自身に問題があった。


一向に準備が進められなかった。手が動かない、足が動かない。口が動かない。自信がないを言い訳にして、準備を進められなかった。

なんで?やりたいことのはずなのに、なんで進めれないの?

そこで、イロさん※に言われた。

「やりたくないんじゃないの?本当にやりたいことが他にあるんじゃないの?」

※イロさん(私がマインド講座を受けていたコーチ)

えーーーーーーーー。私そのために、住む場所を変えてやってきたんですけど、1年間。

私の本当にやりたいことを
改めて考え直す

2つ思い浮かんだ。

・神様の愛を伝える

・気が向いた時に、移動したい

そう
お産があれば、基本は移動できない。その地にとどまる。
お産の時のお手伝いをしたいより

「移動したい」が本当の心では大事だったのだとわかった。


お産ができる助産院を開くという大きな手放しをした後に、
さぁではお産なしでどのように活動していくか。

妊婦相談や講座的なもの?

けど、そこで問題があった。

私は口下手。

私の短所として、論理的に説明できない、思いつくことをパッぱっと口にしていくから、途中で収集つかなくて他の人の助けで話しがまとまることもしばしばあった。

感情で話したりするから、擬音語も多くて、なんかイメージとパッションで話してるかもと思うことあり。

人の表情を読み取り、この人興味持っていないなとわかっちゃうから、すぐ話を終わらせようとする。

とても説明やお話がニガテだと思っていた。

そこで、イロさんの講座を受けて自分の短所のリフレーム※を行う回があった。

※リフレーム/リフレーミングとは、物事の枠組みを変え、違う視点から見ることを意味する心理学用語です。欠点や不安といったネガティブな物事も、考え方の前提を変えることで、長所や期待などポジティブなものとして捉えられるようになります。このように自身の思い込みを見直すことで、人間関係やビジネスが円滑になるのです。

https://www.kaonavi.jp/dictionary/reframing/

私が口下手、説明下手なことを伝えると


・「伝えたいことが伝わっているよ、説明下手じゃない。」

と言ってもらえた。

あれ、そうなん!?そう言ってもらえるなら、信じよう。

・「わかる、私も同じだよ!」

なんと同じタイプがいた!

その短所を練習で直せるかもしれないが、今はこれをまず良しとしようと考えた。

あと、もう一つ短所をリフレームした。

私の短所は鬱になったことがある。

その時はなんだかよく分からないまま、世間の荒波に揉まれ自分を境地に追いやって壊していった。

私がこの世が美しいと思えくらい心が回復した時、同じく心弱っている人の助けになりたいと思った時があった。

しかし、
弱い私だから助けになるのか、むしろ同じように私も引っ張られて落ちるのでは。サポート者も一緒に病むなんて、向いてないだろうなと考えた。

だから、その道をさらに深く学ぼうを思わなかった。敢えて避けた。

これをグループメンバーに伝えた。

「病んだことのない人に話し聞いてもらいたい?私だったら、話しても共感してもらえないだろうから話さないな」

と言われた。

確かに、完全にハッピーハッピー傷ついたこともない完全人間に相談しようとは思わないか。

食べものがないならお菓子を食べたら良いじゃないと言ったマリーアントワネット状態か。同じ世界にいないから話がわからない感じ。

だとしたら私の短所である鬱だったことも、何か役に立てるのかもと考え方が変わった。

本当にそれでやっていけるかなーまぁやっていくしかないんだろうけど。
不安だなぁと思った。

そんなことを考えていた時期に
クリスチャンが集う大会があり、参加した。

そこで神様にどーーーーーーーんと示されたことがあった。

主は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。誰が口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、私、主ではないか。
今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」

出エジプト記4章11〜12節


明確に、神様のメッセージが来た。

そのメッセージを聞いたのは、初めて礼拝に参加した教会でだった。

もし違う教会に行くことになっていたら、もし1週間前、後に行っていたら聖書箇所は違っていた。

神様はふらふら、よくわかっていない、なんとなくやることを避けてけた私にとてもわかりやすく示して下さった。



私はいつもわかりやすく教えてくださいと祈っていた。

神様は優しい、心強く、全てお見通し。

何回もいろんな人と場所を通して、私に伝えた。


はい、やる。

私には正直自信なんてない、けど神様が言ってくださっている。

この御言葉を握って進んでいく。

目の前に人に、必要としている人に、一人でもいるなら、やっていく。





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