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服はツールではなくて、魂である。

インスタグラムの方に、最近買ったお気に入りのドレスの動画をアップした。いや、仮にも私の場合自分自信が前に出たい人なのだから、着用した動画出せよって感じなのだが。
ちょっと着用動画の冒頭に挟もうと思って撮影したこの動画、私は見てるだけで悦になれるんです。だから、この想いを分かち合おうと思って投稿したのだが、見る人はつまんないのかもしれない。

お気に入りのクローゼットでヒラヒラゆらめくドレス、最高。可愛い。
可愛いね、もっとお喋りして?みたいな気持ちで普段から私は服と接している。

モノへの思い入れ。
イギリスでは築100年を超える建物が現役で使われているし、アンティークマーケットもある。長くモノを使う、という文化があるのだろうと思う。
そういう意味ではモノに対する思い入れは強い国なのだろう。

でも、その中で実際に暮らしていると「でも結局、モノはモノでしょ」と思っているということに気付く。モノはモノで、人間の役に立つツールである。人間の方が当然、上の立場なのである。

近所の図書館でよく子供の本を借りるのだが、幼児向けのしかけ絵本などは、借りるたびに姿を変えていく。フラップは取れ、お菓子がこびりつき、ページは破れる。
日本だと親が借りた本にそんなことさせない気がするが、こちらでは、子供の意志>>本、なのだろう。それを図書館側も了解していて、ボロボロになった本は廃棄し、どんどん新書が入荷されていく。本はツールであり、壊れるもの、なのである。
勿体ない?紙はリサイクルできるし大丈夫、みたいな。

そんな絵本たちを見て、あまり意味は無いと知りながら、私はこびりついた食べ物をワイプでふき取り、セロテープでちまちま補修していた。出来るだけ長く大事にされて欲しいから。

子供の好きなYoutubeでBlippiがある。農園や工場やミュージアムにBlippiが訪問して紹介する、アメリカの教育系Youtuber。

とある回のテーマがCrushだった。色々なモノを壊して、Crushという言葉について学ぶらしい。
卵を潰し、缶を潰し、最後にBlippiがショベルカーに乗って車をボッコボコに破壊する。子供は普通に見ていたので消しはしなかったが、私は途中から心が痛くて見ていられなくなってしまった。


最近AppleのCMが日本で炎上したらしい。プレス機で色々なモノを押しつぶして、残された場所にはMacbookが置かれている、みたいなCM。
どうやら本国でも炎上したっぽいが、「職人さんが一生懸命作ったモノをこんな形で破壊するなんて・・・!」みたいな炎上の仕方をしたのは日本だけらしく、無意識的にせよ、やっぱり日本にはモノには魂が宿る、みたいな考え方がDNAレベルで刷り込まれているんだろうなと思った。

話を洋服に戻す。
私は相当モノ、特に洋服に思い入れの強い人間である。服は機能を果たしたり、誰かに自分をアピールするためのツールではなくて、誰かが感情を込めて作った魂なのである。
だから、どんなに良い服でも、自分のエネルギーと共鳴してなければ素敵には見えない。自分を素敵っぽく見せてくれるように高い服を着ても、流行の服を着ても、それなりにそれっぽく見えるだけであなたは素敵には見えないのである。

もう何度目かわからないが、ここ1か月くらい家の整理をしている。使われず愛されなくなって淀んだものは手放して、自分のエネルギーに合うものだけを残す。
そうして手元に残った、あるいはこれから迎え入れる服たちと会話してそれと融合し、私の存在を表現するということをやっていきたい。



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