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閉経と女性の性について考える

 突然だが、去年の秋ごろ私は、いきなり第2子を持つことを思い立った。いや、本当は理由はあって、ナーサリーのクラスメイトのママ(超美人)に二人目がいることを知ったのである。子供を持つことは時間もお金も美しさも失うことだと思っていた私は、あんなに綺麗で余裕のある感じでいられる可能性もあるのか、と彼女に気付かせて貰い、それでも一晩考えて、二人目を持つ決心をした。
 翌日には病院に連絡して月経過多の為に入れていたミレーナを取り、風疹のワクチンを打ち(前回は抗体がギリギリ足りなかった)、葉酸を買い込み、しまい込んであった基礎体温系を見つけて体温を測りはじめた。

 ところが。5年前に測った基礎体温は、ギザギザながら2層にわかれていたのにもかかわらず、今回は層が全く見えないのである。コーヒーをやめたり自分なりに対策しながら、2か月つけてみたのだが、ガタガタなのは変わらず、そのうちなんだかどうでもよくなり、私の二人目計画は頓挫した。それでも妊娠される方もいると思うんだけど、結局そこまで欲しい訳じゃなかったんだと思う。

 それで気付いたのは、そうか、私の身体は確実に変わりつつあり、閉経に向かっているんだろうなぁということ。

 なんとなくそんなことを思っていたある日、前回から2週間で生理が来て私は思った。「ああ、女じゃなくなるんだ。寂しい。」と。
 一応断っておくが、私は閉経した女性を女では無いとは思っていない。だけれども、そこに向かう自分を感じて「女じゃない」と思ったということは、自分の無意識下にそういう気持ちもあったんだと思う。

 そこでオロオロした私は、周りの皆さんに聞いてみた。そうすると、ざっくり要約すると、皆さん子供を産みたいと思っていなくても、閉経、というか子供を持つ能力が無くなることに寂しさを感じるようだった。
 何故だろう。もしかすると、それは何かを産みだし創造するという女性の本能なのかもしれない。あるいは、世間が女性に押し付けている、若くて妊孕性のある女性に価値がある、というものかもしれない。私は、その両方なのかなと思っている。

 そんな私は今、絶賛ゆらぎ期間にいる。およそ10年に一度、肌の調子が悪くなるのだ。20歳の頃は、自分が乾燥肌だということを認識し、化粧水を変えた。30歳の頃は、チョコラBBを飲んでメイクを頑張って落とし過ぎないことで解決した。今回は何なんだろう。ホルモンバランスに問題がある気がして、とりあえずサプリメントを飲んでいる。多分硬水も良くないのだが、帰国はまだ先なので、この地でなんとか解決したい。

 そんなことを考えていたある日、PMSに関するある動画を見た。

 このトピックス自体がこの動画の本題ではないのだが、女性は閉経以降ホルモンバランスが変化して、70歳頃に男性ホルモンが女性ホルモンを超える人もいるとのこと。但し、皆がそうなるのではなく、どういうバランスになるかは人それぞれらしい。
 これを見て、私、ワクワクしてきた。自分オリジナルのホルモン配合になるってこと?!と。

 話が逸れまくって申し訳ないが、マーケティングでペルソナという用語がある。ターゲットの年齢、住まい、家族構成などなどを絞り込み、どんな人に向けて商品を販売するか、を決めるそれである。
 このペルソナが今それなりに機能しているというのはつまり、性別や年齢や、その他の様々なカテゴリによって、人々は無意識のうちに「女だから○○」「母親だから○○」という行動や意思決定を行っているのではないかと思っている。

 でも、私はそんなジャンルに分けられて「○○だから○○」な自分になるのは嫌なのである。私は女でも40代でも専業主婦でもなくて、先ず、「わたし」なのである。私という人間を決定する、性別や年齢や家族構成のジャンルなんて一切ないのである。そいういう常識に縛られない自分の軸を確立したい。だからJFに惹かれたのである。

 だからこそ、私はこのホルモンの変化に興味を持った。だって、男性ホルモンと女性ホルモンが自分オリジナルの良い感じで配合されていくってことなんでしょ?それって与えられた性別を超えて本当の自分になっていくってことじゃない?
 なので私は今はこう考えている。更年期は、人間の性が進化していく確変イベントである。そう考えると、身体が変化していくのも楽しみになるのではないだろうか。



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