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もてなし文化 / "Geverの渋谷"を歩く

昨日女の子から聞いて、なるほどと思ったこと。年上の親類や目上の人から電話がかかってきて、「今からそっち行くわ」的なことを言われると、それを拒むことはできない。

いついつの何時に、などという事前のやりとりは、ない。

客は来たいときにやってくる。チャイと甘いものをだして、チャイが無くなりそうであればおかわりをだして、というもてなしをしなければŞerm(恥)だ。

例えば私のような、滞在客がいる場合、その客を一人にすることは決してないし、空腹にさせることも絶対にない。いつも心尽くしの食事をたくさんを用意し、どこかへ行くときは一緒に連れていく。客の滞在中は、仕事すら休んでもてなすことも珍しくない。

というわけで、今日もひっきりなしに来客があった。お母さんと客が話している間、遊びにきていたSerdarの従兄弟も含めて3人で、メタリカやマイケルジャクソンやヘビメタなんかを流しながらサズで遊ぶ。サズでヘビメタ、だいぶ狂っていてなんか良かった。

こうしていつも自然と音楽が始まる。ようやく落ち着いたタイミングで3人で繁華街へ繰り出す。通称"Geverの渋谷"。弟のカフェに行くと従兄弟とその彼女がいてダベる。店を出てうろうろしていると、別のいとこカップルに遭遇して、連れ立ってうろつく。そんな調子で、どこもかしこも親戚だらけだ。100m歩けば5人くらいと挨拶を交わす。

今日一緒に過ごしていた従兄弟は、3年ほどイスタンブールで暮らしていて、このたびの不幸があったので帰郷している。久しぶりに帰ってきた故郷、久しぶりに会ういとこに、感傷的になって煙草の本数が増えたと言う。

何人いるかわからない、天文学的にたくさんのいとこ同士、村で一緒に遊んで、一緒に学校に通って、一緒に大きくなった。今でもしょっちゅうお互い行き来しているし電話で話している。

昔の写真を見せてもらった。みんなが小さかった頃の写真。写真を見て、なぜだか泣きそうになる。こないだまで赤の他人だった人たちなのに、なぜこんなに心が動かされるんだろう。

どんな状況でもWere rune(おいで、座って)と言ってくれる。「あなたのことが大好き」と抱きしめてくれる。「エリカ、エリカ」といつも名前を呼んでくれる。おばさんたちはたまに「ハリカ」「モニカ」と間違えたりする。

自然の中で、自然を恵みを受けながらの暮らしは、時に厳しい。そんな中で、家族親戚が支え合い、慈しみ合いながら生きる。食べ物も身の回りのものも、痛みも喜びも、皆で分け合いながら。一部の人が街で暮らすようになって生活が変わっても、その姿勢は変わらない。

深くて大きい愛の海にポンと放り込まれ、あっちへ泳ぎ、こっちへ泳ぎ、そんな日々を過ごしているような気がする。絶対に誰かが見ていてくれるから、溺れることはない。

お母さんがBerîvan(乳搾りをする女性)だった頃の写真
Geverの渋谷
久しぶりのおうちごはんはお母さんのブルグルピラウ この3倍量食べた

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