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ハラブジャ前市長とハラブジャへ(2019年9月ハラブジャ)

スレイマニヤから南東へ約90km、イランとの国境に位置する街、ハラブジャ。
この街で1988年、サダムフセイン政権により化学兵器が使用され、5,000人以上の市民が殺された。

「ハラブジャ前市長も一緒に行くて言うてるから〜」
ということで、ハラブジャ前市長のKhderさん(スレイマニヤ在住)も同乗してハラブジャへ向かう。今日も順調に偉い人登場で一日をスタート。

実はハラブジャ市長は毎年日本を訪れている。8/6には広島、8/9には長崎へ。日本の大使もハラブジャを訪れている。多くの市民が化学兵器の犠牲になった日本とハラブジャには、強い繋がりがある。

そしてハラブジャにもまた平和博物館があり、そこでは何が起こり、どのような人がどのように死んだのかを伝えるための写真や資料が展示されている。

「家族は皆死にました。私は唯一の生存者です」という男性が館内をガイドしてくれた。残酷すぎる現実に言葉を失う。同時に、このようなことが今もなお世界中で繰り返されていることを思い、その愚かさへの嘆きが湧き上がる。

ガイドしてくれた男性は「来てくれてありがとう。あなた方は希望です」と言った。責任と連帯感が生まれたように感じた。

博物館のあとは、ランチして、滝を見に行ったりして、ハラブジャ前市長とがっつり観光。
「写真撮ろ撮ろ♪」「撮った写真送ってな♪」
チャーミングすぎるハラブジャ前市長。

スレイマニヤに戻ると、「また明日な〜バイバーイ」と帰っていった。
おお明日もハラブジャ前市長と遊ぶのか!

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ハラブジャの平和博物館

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展示されている写真の中に少年時代のハラブジャ前市長が。「見て見て〜ここにボクおるねん〜」

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ガイドしてくれた男性。家族は皆殺された

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ガイドの男性が集めた遺品の数々。子供たちの勉強道具やおもちゃが多い。

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事件後、亡くなった人の遺体や負傷した人を乗せていったトラック

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ハラブジャ市民の皆さん。事件の際の生存者の方々。

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お墓参り

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ここには1500人が埋葬された。

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犠牲者全員の名前が記された墓地。ここには日本から贈られた桜の木が植えられいる。また、ここからほど近くにはXederさんによって「ヒロシマ」と名付けられた通りがある。

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大人気のレストランでランチ。これは発酵ミルク。
このにーちゃんはジャフさんの運転手兼ボディガード。眉毛!

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一人一つ、このえげつないポーションのかごが登場。食べきれる可能性は、最初からない。

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滝へやってきた。規模は小さいが美しい。ものすごい人でごった返す。乾いた土地でジャブジャブ水が湧くと一大観光地になる。

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