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いつかのゴールデンウィークの話

久しぶりに規制のないゴールデンウィークだそうです。ゴールデンウィークの雰囲気を忘れてしまって比較できない私です。

そんな私が今日ふと思い出した大学4年生のゴールデンウィークの話。
大学時代、私は競技ダンス部に所属しており、部活だったこともあり、4年間を競技ダンス(社交ダンス)に費やしたと言っても過言ではありません。詳しくはまたいつか。

学年が上がっていくにつれ、自分のドレスを持つ人が多く、私の成人式の着物はドレスに変わりました。

2年生の冬、格安のドレスを初めて購入し、リメイクをしようと浅草・稲荷町の生地屋さんを見ていたときに、偶然出会ったのが横村さんでした。小柄で白髪混じりのお上品な女性で、ドレスのデザイナーさんで私のドレスをリメイクしてくださいました。3年生になりそのドレスで大会で踊り、いい成績を納めたこともあるし、1つ上の先輩のドレスを横村さんがリメイクしてくださったこともありました。

4年生になってオーダーメイドのドレスを作ることになったとき、横村さんにドレスを作って貰おうと決めていました。先生はあまりいい顔をしなかったけれど、私のドレスだから私がいいと思った人に作ってもらいたかった。大好きだった他校の先輩のドレスのイメージを私らしく当てはめて、明るすぎないオレンジ色のドレスができあがりました。

4月。4年生最初の試合、そして私のドレスのデビュー戦。まさかの1次予選敗退でした。春休みに出たアマチュア戦では2位。そこそこいい成績を出してきたのに、ショック極まりなく、私のせいだと落ち込みました。悔しかったし、相手に申し訳なかった。そして、私はまだ子どもでした。

ゴールデンウィーク、ひとりでも練習に行きました。暇さえあれば踊った。練習の仕方がわからなくて、ただただ踊った。そんなある日、横村さんが食事に誘ってくださいました。銀座の、大学生には手が出せないようなレストランに連れて行っていただきました。正直、行きたくなかった。素敵なごはんをいただくのも、練習を休むのも、ご馳走様していただくのも何もかも嫌で、どんな経緯か忘れちゃったけど、私は横村さんに八つ当たりするかのような話し方をしてしまった。

それでも、横村さんは怒りもせずに優しく話してくれた。私は、そのレストランで泣いた。どんな食事をいただいたか忘れたけど、何か黄色いソースがかかったお料理があった気がする。

その後も、卒業まで横村さんは、事あるごとにドレスの手直しをしてくださったり、仕事場兼自宅の団地にも何度かお邪魔した。

でも、最後の試合、私は、憧れていた先輩のブルーのドレスを借りた。アマチュア戦や気分を変えてお借りした時に好成績だったから、勝ちたかった。オレンジのドレスは準決勝から着るつもりだった…着ることは叶わなかった。

その試合と同時に私は競技ダンス部を卒業し、社交ダンスから逃げるように離れた。
ずっとやりたかった演劇をやるために養成所に通い、ジャズダンスを好きになった。
社交ダンスは、その後徐々に私の元に戻ってきた。

でも、横村さんとはそれっきりになった。

今、横村さんはどこで何をしているのだろう。ふとした瞬間に思うけれど、連絡不精の私は未だに連絡を取れていない。あの団地の一室で、ドレスを作り続けているだろうか。

今日、レッスンを受けているとき、ふと、横村さんのことを、あのゴールデンウィークのある夜(確か4日じゃなかったかな?)に自分には場違いと思うような銀座の高層階から見た夜景と、何だか忘れてしまった黄色い何か食事の香りが蘇ってきた。

私の一部だ。

「漁港の肉子ちゃん」読んだからか、迷惑をかけてしまった大人の顔が浮かんだのかもしれない。

そんな2022年のゴールデンウィーク。

追記
節目写真館に入れていた写真からドレスと横村さんを見つけた。横村さん、シャンとした黒髪の女性だった。思い出とは曖昧だ。

あと、今このドレス誰が持っているのでしょうか??行方不明です。


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