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私とボカロとの出会い

2007年、当時私は高校1年生だった。
同じ部の友人が「Niconico」への招待を送ってくれたことが出会いの始まりだった。彼女は所謂ヲタクの中のヲタクで、にわかオタクの私に様々なサブカルチャーを教えてくれた一人である。

ニコニコに入った当時は、同級生と一緒に遊戯王MADを観ながら昼休みや放課後をバカ笑いして過ごす、そんな日常のワンシーンを彩ってくれた。そうして、一緒に視聴して共通の話題を持てる人が増えていき、クラスでの友人も増えた。そんな視聴の仕方が当たり前だった頃から、変わった出来事がある。

2010年、あの頃はモバゲーやGREEのような、ソーシャルゲームプラットフォームでネット界隈は賑わっていたように思う。mixiにもその少し前に入った気がするが、(地元の知人たちの顔ぶれからなのか)陽キャのソーシャル感があり、少し苦手だった。母校登録すると苦手な人に探し当てられることもあり、なんとなく億劫になって、放置していた。

一方、ゲームありきのソーシャルは、自分のプライベートなバックグラウンドを晒さずに、一緒にゲームを楽しめるというところが心地良く感じたような印象があった。そういった中で、様々な人とネットで知り合い、メッセや掲示板でたくさんの話をした。

そこで、仲良くしていた方から「初音ミクの『FREELY TOMORROW』という曲を聴いてみてほしい」というメッセをもらった。最初はなんとなく「機械音声よりも生の人間の歌声の方がいいはず」という凝り固まった固定観念があって、正直、気乗りしなかった。けれど、紹介してくれた方との付き合いもあるし…と検索してみたのが、ボカロとの出会い。

初めて聴いたボカロ曲がこの曲で本当によかったと改めて思う。
「FREELY TOMORROW」を視聴して受けた衝撃、あの時、私の世界観がたしかに変わった。何も知らず、聞いたこともないのに「機械音」なんて表現で認識していた自分を恥ずかしくもあった。そして、曲に魂を吹き込める人(ボカロP)の存在に圧倒された感覚を今でも覚えている。
この衝撃を受けたのが、おそらく2011年頃。

そこからは、ニコニコの視聴履歴のカテゴリが変わった。
狂ったように沢山のボカロ曲を視聴する日々。ボカロは、曲ももちろん素晴らしいが、同時にMVを一緒に作り上げる絵師さんや動画制作の人のクリエイティブに魅了された。

視聴を開始して間もない頃にランキング上位にランクインしていた「シリョクケンサ」と出会った時も衝撃を受けた。「楽曲の中のドラマ性」- まるでショートドラマでも観ているかのような、1曲の中に集約されたストーリーに感銘を受けた。

曲を聴くだけでなく、観て楽しむという楽しさを実感したのが「ボカロ曲」だった。それは、動画プラットフォームである「ニコニコ」に投稿されたものだから得られた感覚だと改めて分析している。

ニコニコ動画というプラットフォームを介して、作り手・歌い手など様々なクリエイターたちが出会い、一緒にクリエイティブを作り上げるコラボレーションがあちこちで多発的に起きる。

学生ながら「なんかすごい時代が来た」という漠然としたインターネットの歴史の潮目に立ち会っているような感覚があった。

私が2000年当時、初めてネットに触れた時、最初は電話回線でページを見る時のデータ量で利用料が決まる従量課金性のようなもの(ISDN)で、何が必要な情報かを考えて調べたり、慎重にページを開いた。ADSLが登場し、ネットが自由に好きな時に好きなだけ見られる時代が来て、感激した。

そんな時代から10年後には、ネットを介して、場所を問わず、年齢や性別などのリアルの属性を超えて人と出会い、一緒に作品作りをするのが当たり前になった。私もリアルで油彩やアクリル画などを描いていた万年美術部で、自分が日常的に作品をつくっていたこともあり、新たな時代の到来に胸を躍らせた。

そして、誰にでも自分の作品やスキルを公にできる機会が平等に与えられたことを証明したのだと当時思った。4マスが主流だった時代、基本的にはプロと呼ばれる人が作品をそれらのマスメディアに載せることができた。個人のHPやブログに作品を上げることはできても、その影響力というのは微々たるものだったように思う。

そういった背景の中、ニコニコ動画というプラットフォームは、プロアマを問わず誰にでも作品を公開する権利と、個人が発信した作品あるいは才能を誰かに見つけてもらえる機会を創出した走りだったのかもしれないと振り返る。

そして、ユーザー間で交流や共創が起き、LIVEではタイムリーに不特定多数の人々が場を共有し、その場で一緒に熱を共有する。弾幕で埋め尽くされた配信画面に、何度胸が熱くなったことだろう。

今でこそ、様々なソーシャルメディアで、誰でも自己表現や情報発信ができ、誰にでも「タレント」になる機会がある時代。有名なクリエイター同士が互いのチャンネルを行き来することも当たり前のようにある。ストーリーやライブ配信もSNS内で手軽に行える。

30代前半の若輩者の私にも自分の生きていた時代時代に出会い、別れたサービスがあり、そのサービスを思い出すとその時代の思い出も鮮明に思い起こされる。インターネットとサービスの変遷を知っていればこそ、ニコニコ動画は革新的だったと改めて思う。

青春をニコニコと共に生きた1ユーザーから見えていた風景でした。
P.S. 久々にニコニコ動画にログインしました。また新たな発見に出会おう。

#わたしとニコニコ


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