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食を共にするということ

清掃活動をした日、
本堂の前に机を並べ
みんなでお昼ご飯を食べた。

赤ちゃんも子どもも大人も
一緒になってご飯を食べる時間が
私は大好き。

なぜだろう?

昔は好きでもなかったはずなのに。

なんなら今も
家族でご飯を食べる時間は
あまり好きではない(笑)

というのも、
家族だけでご飯を食べる時は
子供達の様子が氣になりすぎるから。

最低限のお作法は守りたい私。

あーだこーだと言いたくはないけど
やっぱり『最低限』のことは口が出る。

まだまだうろちょろしながら
食べる子どもたちなので、
食事の時間は本当はとっても苦手。


更に言うと、
食事について思うことは
自分の幼少期にまで遡る。

私の両親は
食事の作法について
口が酸っぱくなるほど言ってきた。

その時の様子は
大人になっても覚えている。

あの時はうるさく感じていたけれど
大人になった今は
教えてもらって有り難く思う。

※かと言って、お上品に
完璧に食事できる人間ではありません(笑)

結局は親に似るんだなあと
事あるごとに思い返したりする。


また、
小さい頃は大勢で食事をする事もよくあった。

親戚が集まって
わいわいする時間は
楽しかった記憶がある。


しかし、
そこには母の大変な苦労があり
大人の事情なんかも多々あった事を知り
徐々に楽しめなくなっていったのも事実。


『大人って大変なんだな。
楽しいだけじゃないんだな。』

『それなら集まらなければいいのに。
大変なら手抜きをすればいいのに。』


そんな風に感じていった私は

大勢で食事をするのは
大変で苦痛なものなんだ。


そうインプットされていき、
本当につい数年前まで
人と食事をするのはとても苦手だった。


しかし、今は違う。

子供たちも交えて
わいわいご飯を食べる時間は大好き。

家族だけで食事をする時みたいに
細かいところまで氣にしない自分にもなれる。

本当に大切な仲間たちと一緒だから
純粋に楽しい。

子供たちが張り切って
配膳のお手伝いをしてみたり
一生懸命食べる姿もとっても可愛い。

ご飯の用意が大変であれば
潔くお弁当を注文するし、
イライラしてまで作らない。


そう割り切るまでにも
たくさん葛藤もあったけど、

『笑顔の時間を増やす』
『潔く手放す』

この優先順位を上げることに
意識を向けたことで
本当にすごくラクになった。


食を共にするという事は
色んな力を育むことができるはず。

赤ちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、大人たち
色んな人の姿見て、笑い、
時にはケンカもしながら一緒に食べる事で
心は開放され、身体の細胞は刺激を受け
活性化するに違いない。


コロナ禍で人と人の距離が制限されるようになり
食を共にする機会は極端に減ったように思う。

だからこそ、私は
この時間を大切にしたい。


日本には
『同じ釜の飯を食う』ことわざもある。

一つ屋根の下で、共に生活をして同じ食卓で食事をしたような、楽しいこともつらいこともともに経験し、気心の知れた信頼関係のある仲間、と言う意味

食は心を開放し
人と人との繋がりを導いてくれる。

先人の日本人は
こうして素晴らしい言葉を
残してくれているのだから、
私は尚のこと大切にしたい。


というわけで、この場所では
『食を共にする時間』を
積極的に取り入れた活動をしていきます。