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ナラティブ

整った容姿、人気、愛、お金、幸せ。そういうキラキラしたきれいなもの。
僕には縁がなかったもの。憧れてやまなかったもの。
どうしても手に入れたかったもの。

絶対、手放したくないもの。

ーー

「それでは一度お会いしましょう。キサラギ君に会えるのを楽しみにしています」

そんなメッセージが来て僕は嬉しくなった。「キサラギ」というのは僕がつぶやきSNSで使っているハンドルネームだ。僕の名前は二月久裕。本名の方が珍しく「二月」と書いて「ふたつき」と読む。如月は二月の別称なので、単純にそれをハンドルネームとして使っていた。なんの捻りもないと言われればそのとおりなのだが、ハンドルネームなんてみんなそんなものだろう。

メッセージの相手はつぶやきSNSで知り合ったサクラさん。たまたまタイムラインに流れてきたつぶやきが面白く、僕から彼女をフォローしたことをきっかけに仲良くなった。
もちろん僕同様「サクラ」というのはハンドルネームなので、彼女の本当の名前も、年齢や職業も分からない。けれどSNSで見る限り、とにかく彼女は思慮深く優しい人のようだった。気になったことであれば、どんな分野や小さなことでも自分なりに考え、丁寧な言葉で発信している。それは論理的に整理したものだったり、想像を膨らませたものだったりするが、日常のこと、仕事や勉強のこと、流行のネット配信から政治のことまでと話題はとにかく幅広い。
ネットでは画面の向こう側に人間がいることを忘れ、表示されている情報はただの文字だと認識している人は存外多いと思う。あるいはネットで見るどんな出来事もエンターテイメントのショーであり、それを観ている自分は無関係な観客の一人で、すべては対岸の火事だと信じているのだろう。
そんな人が多い中で、ひとつひとつのことに寄り添い、笑ったり悲しんだりしながら楽しそうに発信しているサクラさんに僕はひどく感銘を受けた。
それで、どうしても直接会ってみたくなって「サクラさんともっといろんな話を直接できたら楽しいだろうな」なんてことを冗談半分でつぶやいたら、先程のメッセージが来るに至ったのだ。

普段の丁寧なつぶやきから想像するに、サクラさんは聡明な年下の女性のような気がした。ついでに清楚で穏やかな黒髪が似合う美人。以前、一度だけ投稿された自撮り写真を見たことがある。スタンプで顔のほとんどを隠してはいたが、きれいな目元が印象に残った。
彼女が遠方に住んでいたらどうしようかと心配したが、偶然にもお互いかなり近くに住んでいるらしくて驚いた。運命かもしれない。
待ち合わせ場所は、僕の家の最寄り駅から徒歩十分ほどにあるカフェ「千夜一夜」。そのあたりはよく知っているつもりだったが、一本脇道に入っているからか、毎日近くを通っているというのに今までその存在にまったく気付いていなかった。

今日はその約束の日、午前十一時四十分。サクラさんに会えることが楽しみで予定より早く家を出た僕はすでにカフェの前にいる。目立った看板はないが、扉には千夜一夜と書かれた小洒落た文字と、オープン表記になっているドアプレートが見えるので間違ってはいないだろう。待ち合わせの時間まで二十分も早いが、先に中に入って待つことにした。

扉を開けるとカランコロンとドアベルが鳴る。二人がけのテーブル席が四つとカウンター席だけの店。他に客は見当たらず、店員も若い女性がカウンターの奥に一人いるだけだ。軽食の準備をしていたのであろうその店員はドアベルの音に気付いて顔を上げる。「どうぞ」と手を出し、目の前のカウンター席を僕に勧めた。さらりと流れる前髪から涼やかな目元が覗き、思わずどきりとする。こういう小洒落た店の店員は、男女問わずなぜ顔が整ってる人が多いのだろうか。きっと僕とはまるで違う世界を生きてきたんだろうなと思ったところで、彼女の顔をまじまじと見すぎている自分に気付いた。

「すみません。待ち合わせなので、テーブル席でいいですか」

ごまかすようにそう言ってテーブル席に着こうとしたのだが、店員は「ああ、もしかしてあなたがキサラギ君ですか」と返した。
思いがけない言葉に面食らう僕にニコッと笑顔を見せた後、店員はカウンターから出てきたかと思うと扉のドアプレートをひっくり返し、表示をオープンからクローズに変えた。

「私が『サクラ』です。はじめまして、キサラギ君」



目の前に立つ彼女は、物腰の柔らかそうな小柄で華奢な美人。年齢は二十歳を過ぎたくらいだろうか。白いシャツに黒いカマーベストと蝶ネクタイ。モノトーンの制服がよく似合っている。清楚な黒髪美人という妄想は間違っていなかったどころか、美人という点では想像していた以上だ。現実の彼女は、SNSで見ていた穏やかな話し方や優しい雰囲気と違わず、初めて聞く声は透き通っていた。
しかしまさか待ち合わせ相手が店員だとは思っていなかったので、どこに座るべきか分からずその場に突っ立ってしまう。そんなまごつくこちらの様子はお構いなしに「何にしますか?」と言いながらサクラさんはさっさとカウンターの向こう側に戻って行ったので、僕は最初に勧められた通り、とりあえずカウンター席に座った。メニュー表を見て、なんとなく目についたレモンティーを注文する。

「あのう……お店閉めちゃっていいんですか」

挨拶だとか、自己紹介だとか、何から言おうか迷ったが、最初に出てきたのはそんな質問だった。

「はい。今日はキサラギ君が来たら貸切にしようと思っていました。この店は元々夜カフェがメインで、お昼はご覧の通り、ほとんどお客さんが来ないので。もうすぐ十二時ですから、食べながら話しましょう。どうぞ」

そう言って手際よくレモンティーを作り、準備していたサンドイッチを一緒に出してくれた。ティーカップには鮮やかな鳥の絵が描いてあって高級そうだ。紅茶には詳しくないが、良い匂いが鼻をくすぐる。同時に自分の分も淹れていたようで、サクラさんは僕が一口飲むのを待ってから自分も一口紅茶を飲んだ。彼女のティーカップは花柄だ。

「お店まで来ていただいてありがとうございます。改めまして、さくらさくらと申します。良く咲く桜と書いて咲良桜。苗字と名前が同じなんておかしいでしょう。サクラはハンドルネームでもあり、私の本当の名前でもあるんですよ」

たしかに珍しい組み合わせだと思う。だが陶器のような白い肌に頬や唇が淡く色付いた美しい顔を見ていると、その名前もよく似合っている気がした。まるで本当に桜が咲いたようだ。やはりサクラさんは特別な魅力に溢れていると思う。

「はじめまして。キサラギです。本名は二月久裕と言いますが、SNSで呼んでいる通り、キサラギでいいですよ。咲良さんは……どっちにしろ呼び方はサクラさんですね。ここはサクラさんのお店なんですか?」

「ええ。でも本業は別にありまして、カフェは趣味みたいなものです。夜にお客様が来られて様々なお話をされていきますから、名前は千夜一夜物語からもらいました。イメージとしてはバーに近いのですが、残念ながら私はお酒が飲めないので」

サクラさんはそう言っていたずらっぽくティーカップを持ち上げて見せた。若く見えるのに、カフェもやって他の仕事もあるのか。趣味のお店を持っているなんて相当本業で稼いでいるのか、元々かなりのお金持ちなのかもしれない。
サクラさんを見る。ティーカップを持つ指も細くてきれいだ。彼女はなにもかも美しかった。見ているだけでクラクラするのに、吸い寄せられるようにじっと見てしまわずにはいられない。僕は彼女をもっと知りたい思った。本当ならカフェで待ち合わせた後、どこか別の場所に移動しようかと思っていたのだが、貸切にしてくれたおかげで余計な邪魔が入らない。
出されたサンドイッチを遠慮なく頬張ると、たっぷりと入った卵とハムが溢れ出す。ふわふわしたパンにからしマヨネーズがきいていて、コンビニで買うようなものとは全く違うというのはすぐに分かった。
いくら夜時間の営業がメインだと言っても、このサンドイッチや紅茶の美味しさ、さらに言えばサクラさんの容姿がありながら、昼はなぜこんなに客がいないのか疑問だ。そんな風にサンドイッチやお店を素直に褒めたあと、僕は自分の話をした。

「SNSでも呟いているのでご存知かもしれませんが、僕はネット配信をやっているんです。事件とか怖い話とか都市伝説なんかをテーマに扱っていて。自分で言うのもなんですが、そっちの界隈ではちょっとした有名人なんですよ。サクラさんは普段からいろんなことに興味を持って発信していますよね。都市伝説や実際にあった事件の話には興味ないですか? 僕としてはぜひ今度、動画のゲストとして出演してほしいなあ」

サクラさんが仕事の話をしてくれたので、僕も自分の仕事を話題にした。僕がちょっとした有名人というのは本当だ。最初の頃はネット配信でつまらないチャレンジ企画なんかをやっていて、チャンネル登録者数はおろか視聴回数もふるわない日々が続いたが、ある日、昔起きた事件をテーマに語ってみた。それが「まるでその場にいたみたいに語り口がリアル」と評されたことで動画の人気に火がつき、たまにではあるがテレビにも呼ばれるようになっていた。最近はその人気を落とさないよう、ネタ集めにも必死な日々を送っている。
サクラさんに会いたかったのもこういう目的があった。アンダーグラウンドなジャンルは人を選ぶが、何にでも興味を持つサクラさんなら受け入れてくれるだろうと思った。実際、彼女は食いついてきてくれた。

「怖い話や都市伝説ですか。ふふ。私もひとつ、面白い話を知っていますよ」
静かにカップを置いて、内緒話をするようにひっそりと彼女が話し始める。

「昔、人を食べる不思議な生物がいたそうなんです。姿かたちを変えるその生物が本当はなんなのか、知る人はいません。その正体を見ることができたのは、食べられて消えてしまった人だけ。それなのに誰がそんな話をするのか、本当とも嘘ともつかないその生物の噂だけが流れてきます。
人を食べると言っても人間の肉体が目的なわけではなく、食べることでその人の思考、感情、価値観、人生を栄養とするらしいのです。それらは『物語』と呼ばれています。その生物にとって、その人しか持っていない、特別に強い物語は格別に美味しいのだとか。それは夢を食べるバクのよう。本から知識を貪る人間のよう」

歌うように話すサクラさんは恍惚とした表情を浮かべている。そんな都市伝説やおとぎ話は聞いたこともないが、実を言えばそんな作り話には元から興味なんてなかった。
今日これから本当に事件は起きるのだから。
サクラさんはその犠牲者となって、僕のコレクションに加わるのだ。そしてその悲劇を動画で詳細に語る。今までで一番魅力的なこの人は、過去のどのゲストよりも特別になるに違いない。
僕は隣の椅子に置いたかばんの中からタオルに包んだ包丁の柄をそっと握った。飲み物に仕込もうと薬なども用意してきたが、カウンター越しの店員を相手に使うのは難しい。これで少し傷付けてから連れ去ろう――。

SNSで見つけた時からずっとキラキラしたサクラさんが欲しかった。想像以上にきれいなあの目も顔も髪も指も体も、今日僕のものになる。そして、また新しい物語を披露することができる。
心拍数が急速に上がってくるのを感じながら、タオルを外した。息が荒くなるのを抑え、目線を上げたその時。
深い闇のような目に見つめられていることに気付きギクッとする。

「普段は夜に来られるお客様の語る物語を少しずつ頂いているんです。でもね、あなたからはとても美味しそうな匂いがする。キサラギ君、私はあなたの物語が欲しい。あなたは今日、私を殺しに来ましたね」
きれいなその顔は、急に恐ろしいもののように見えた。途端に体中から汗が吹き出てくる。

「なんの……こと……」
咄嗟に言葉が出てこない。包丁は見えていなかったはずだ。サクラさんは僕のことを知っていたのだろうか。本当の僕のことを。過去に誘拐や殺人を犯してきたことを。今まで誰にも気付かれずにきたことを。今日、まさに彼女を殺しに来たことを。どうして、どうやって。様々な感情と思考が同時に巡り、入り乱れる。自分を落ち着かせ、軽く息を吐いて笑顔を向ける。大丈夫、相手は女だ。体格差を考えれば絶対に勝てる。過去を知っていたから、殺すことを知っていたから、なんだと言うのだ。そう、どうせ殺すのだ。
しかし彼女は淡々と続ける。

「人は行動を起こす時、正当化させたい時、受け入れられない時、理由を付けます。罪を犯す時も動機があります。フィクションにだって、なぜそうなるのかという必然性がなければいけません」

刺してしまえば。体を抑えて一突きすれば。そう思うのに。

「桜の下には死体が埋まっている、なんて聞いたことありますよね。咲き誇る桜があまりにも美しくて、不気味で、納得がいかず恐怖を抱く。だから人は『桜が美しいのは死体を養分にしているから』だなんて理由を妄想するのです。事実だけでは物語にならない。だけどそこに理由をつけ、語る人がいれば、それは物語になる。重要なのは『自分が納得する理由』を見つけること。理由は大事な建前。大切で勝手な物語。私はそれが知りたいのです。さあ、話してください。あなたの特別な物語を! さあ、さあ!」

目に前のイカれた化け物はなんだ。喉がカラカラに乾いて声が出ない。どうやっても手が動かない。手だけじゃない。足も、頭も。全身が。


小さい頃からキラキラしたきれいなものはどうやっても手に入らなかった。それは僕が醜いから。きれいなものは似合わないと遠ざけられてきた。僕の声は誰にも届かなかった。恋人はおろか友達と呼べる人もなく、親からも社会からも蔑み疎まれていると感じて生きてきた。
ある時たまたま見かけた小学生を誘拐した。親から愛されて幸せそうな子どもはキラキラして見えた。羨ましくて、憎くて、触ってみたかった。その時初めて、僕より小さく弱いものは力があれば触れることができるのだと知った。その子には逃げられてしまったので、次は中学生のかわいい女の子を殴って殺した。衝動が止められなかった。殺して初めて手に入れることができた。
元々失うものさえ持っていなかった僕は、捕まることも罰を受けることも大して怖くなかった。だが一度たりともそうならずにきたのは、可哀想な僕に神様が与えてくれたせめてもの幸運だったのだろう。
きれいなものは全部こうやって手に入れればいいと分かった。

僕はそうして犯してきた罪をネット配信で語った。もちろんフィクションや事件に対する考察という体でだったが、罪の意識に苛まれてどこかに吐き出したかったわけじゃない。キラキラしたものを手に入れた過程と喜びを、誰かに話したかっただけ。僕は醜かったが、それを喜びながら見ている画面の向こう側の人たちはもっとグロテスクだと思った。残酷で滑稽な大衆は視聴回数という数字となり、それはやがて僕自身をキラキラしたものに変えた。人気者になったことで、世間はようやく僕を見てくれるようになった。みんなが僕を見てくれているというただそれだけで、世界に初めて色が付いた。それはそれは美しかった。僕の声が誰かに届いて、そして返してくれるのだ。初めての経験に、夢を見ているようだった。それは僕がずっと手に入れたかったキラキラしたもののひとつだった。
しかし、一度ネット配信のネタがなくなると手のひらを返したように人はいなくなっていった。伸びない視聴数と白けていく周囲の反応に、不安と焦燥感が僕の心を支配した。
やっぱり僕がきれいなものを手に入れるためには、これしかないんだ。これは僕にとって必要な手段なんだ。そうすればキラキラしたものに囲まれて、僕だって輝いていける。

僕の目を真っ直ぐ見ながら近付いてくるサクラさんは、すでに人の形ではなかった。黒い影のような、ゆらゆらとした「なにか」。その影は周囲を飲み込んでいき、店だった場所はまるでぽっかりと開いた暗い口の中のようだ。何も見えない暗い闇。動けない体を、それでも必死に動かして包丁を振り回すが、それは空を切るだけで何の意味もなさなかった。闇が広がっていくにつれ、脳が溶けていくような気がする。ズルズルと音がする。
手足は闇に引き込まれ、僕の形もなくなっていく。あの恐ろしくも美しい目しか見えない。何も考えられなくなっていく。ああ、あのきれいな目に触れたい。あれは僕のものだ――。

「ぎぁ……ッ」

叫び声が響く間も無く、僕は「なにか」に飲み込まれた。


物語を食べる生物「千夜一夜」。姿かたちを変えるその生物が本当はなんなのか、知る人はいない。その正体を見ることができたのは、食べられて消えてしまった人だけ。

「ありがとう、キサラギ君。ごちそうさま。あなたの物語、とても美味しかった」

不思議なお店は、一夜にしてどこかに消えた。

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