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引っ越し

 青い空、白い雲。周囲に高い建物は何もなく、緑が豊か。少し田舎っぽいけど、のどかでいい景色。少し歩けば海に続く小洒落た商店街もある。
 私は半年前にここに引っ越してきたばかり。以前は大学まで電車で三十分ほどのタワーマンションに両親と住んでいた。タワーマンションと言っても、住んでいた階は残念ながら下から数えた方が圧倒的に早い。都会的で駅も近く便利ではあったが、特有の明るさと喧騒は少し苦手だった。それもあってここの静かな暮らしは心も落ち着いて気に入っている。今の家は二階建ての小さなアパートの一室だが、一人で暮らすには十分な広さだ。アパートの周囲にはぐるりと植栽がされていて、春になればツツジが綺麗に咲くらしい。
 私の部屋は一階の角部屋で、隣は二歳年上のサクラさんというお姉さんが住んでいる。明るく気さくな人で、私が越してきた時に挨拶をしてからすぐに意気投合し、会えば以前住んでいたところの話や、最近あった何でもない話で盛り上がる。海辺のレストラン「ブルー・スパイス」の社員として働いていて、私も何度か足を運んだ。看板メニューの素揚げ野菜が乗ったカレーライスは香り高く、ボリュームがあるのに思わずおかわりしたくなる美味しさだ。

 私はというと、こっちに引っ越して来たので通っていた大学は辞めてしまった。偏差値は高めの大学だった。入学に苦労した分もったいなさもあったけど、ついていくのも大変だったから解放感の方が圧倒的に勝っている。今思えばあの頃は毎日ピリピリしていて辛かった。

 その代わりというのもなんだが、三ヶ月程前から商店街にある古本屋さんでアルバイトを始めた。西洋の物語に出てきそうなクラシックな店構えが特徴の品の良いお店。通りに面するガラス窓には「クマノ古書店」の文字とシルエットのクマが描かれている。随分とニッチな本ばかりを仕入れてくる店長のクマノさんは、大きな体でのっそりしていて本当に熊のようだ。そんな体格とは裏腹に、優しい笑顔でスタッフを褒めて伸ばす教育方針が、まだ新人で失敗も多い私には嬉しかった。

 そんなわけで今の生活は穏やかで楽しく、不満は何もない。一つ気になることを挙げるとすれば、遠く離れてしまった両親や親友の真理子のことだ。思い出すとやはり少し寂しい。別れを伝えた時、真理子は大泣きしていたので思い出す度に申し訳ない気持ちになる。真理子は昔から泣き虫だったから、私がいないと心配だ。今は元気でやっているだろうか。

 突然の引っ越しだったので、こっちに来てすぐはかなりドタバタとしていた。一人暮らしは初めてだったし、そもそも新しい生活を始めるための手続きが色々必要だった。知らない土地で右も左も分からず戸惑う私に、役所の人が案内してくれたのは「新しい環境窓口」。担当の人は私の事情を聞き、懇切丁寧に相談にのってくれた。「なるべくご希望が叶えられるよう探してみます」と言ってくれたので、遠慮なく思いつく限りの要望を伝えてみたところ、居住する周辺環境はピッタリのところを見つけてきてくれた。のどかで静かで、海が近くて、あまり都会すぎないところ。本屋さんのある商店街が近くにあるところ。時間がゆっくり流れているような雰囲気のところ。今住んでいるところはまさに理想通り。しかしそれに比べて住む家の希望はあまり通らなかった。実家のようなタワーマンション、それも上層階に住んでみたいと試しに言ってみたが、それはさすがに無理だった。まあそりゃそうか。贅沢すぎるし、希望する周辺環境と家が不釣り合いな感じもする。実家が下層階だったから、ちょっと言ってみただけだ。本当は住む家にそんなにこだわりはない。
 そもそもこの土地では様々な規定があるらしく、条件と照らし合わせると私は一階に住むことが義務付けられていた。身の上話で親友と離れてしまって寂しいと言ったら、年齢の近いサクラさんが住んでいるこのアパートの一階を紹介されたというわけだ。
 引っ越しをした経験のある人は多いと思う。今までの環境に別れを告げ、新しい土地、新しい家、新しい人間関係が一から始まる。積み上げた私自身は変わらないが「積み上げた私」を知る人はいなくなる。自分以外の全てが一新する。ここでも私は私であり、同じ容姿、同じ声、同じ性格で、服を着て、ごはんを食べ、新しい家に住み、新しいバイトを始め、新しい人間関係を築いていく。
「あの世」と呼ばれるこの場所で。



 半年前に私は飛び降り自殺をした。万人が聞いて納得するような、きっかけとなる衝撃的な出来事があったわけじゃない。けれど長い間、少しずつ心に積もり続けた何かにある日突然押し潰されてしまった。ふいに絶望が襲ってきて、今まで無意識でいられた「生きる」ということの重荷に気付かされる。気付いてしまった荷物は今までの数十倍重く感じられ、どうやって背負っていたのかも分からなくなった。焦り、混乱し、恐怖した。そんな中、絶望の声だけが優しく響く。

「重たい荷物は全部放ってしまえば楽になれるよ」

 糸が切れてしまった私はその声に耳を傾けてしまった。
 うちのマンションの屋上には今流行りの菜園スペースがあって、住人は自由に出入りができる。私もトマトを育てているが収穫はまだ少し先だ。
「赤く実ったら代わりに誰か食べてくれるかな」
 全てが急に嫌になって無になるために屋上に向かったのに、トマトの行く末を心配をするなんて自分でも変だなと思ったのを覚えてる。
 気持ち良い風が吹く中で、ふと真理子には伝えておかなきゃと思い、最後に電話をしたんだ。少しだけ話をして「ごめんね」と残してマンションの屋上から飛び降りた。

 死んで目が覚めると役所らしき建物の前にいた。想像するような花咲き乱れる天国でも強面の鬼が徘徊している地獄でもない。現世で散々見てきたような何の変哲もないビルが目の前に立っている。あまりの情緒のなさにがっかりしたが、あの世と言われるこの土地のせいなのか、現世で感じた苦しみや恐怖、無になれなかった絶望感はそれほど感じなかった。
 どうしていいか分からず、ぼうっとビルを見上げていると中から役所の人が出てきて声をかけられた。わけも分からず窓口に案内され、あとは説明した通りだ。タワーマンションから飛び降りた私は、あの世の規定により高層階に住む許可がおりず、万が一、二階から落ちても大丈夫なように植栽がしっかりしているアパートを勧められた。サクラさんも似たような事情で三年前からあのアパートの一階に住んでいるのだという。
 実際に死んでみて分かったのは、死ぬというのは引っ越しとなんら変わりはないということだった。身近な人と別れ、自分自身はそのままに、あの世での新しい生活が始まるだけ。魂があの世という土地に引っ越すだけ。
 死ぬ直前と同じ姿でここに来る私たちは、一年過ぎれば一つ歳を取るし、学校に行ったり働いたりもする。生前、あるいはここで悪いことをすれば現世と同じように捕まって罰を受ける。死んだ理由によっては私のように規定や条件が設けられることもある。善人や病気で苦しんだ人、同情の余地がある人は「新しい環境窓口」で自身の健康状態や周囲の人、あるいは環境などの融通を多少なりきいてもらえる分「一新」というより、より良く変わる「刷新」であるのが救いかもしれない。良くも悪くも「死ねば全てが終わる」というのは間違いだ。現世の延長であるあの世は人によって天国にも地獄にもなりうる。
 この世界でもう一度死ぬということは原則ないらしいが、担当の人曰く「そういう行為をされると色々手間がかかるのでご遠慮ください」とのことだった。現世とあの世において、老衰で亡くなった人だけが新しい魂となり現世に還る。


 私はここで新しい人生を始めた。文字通り第二の人生だ。今になって思えば現世への未練や後悔はたくさん思い浮かぶが、その分ここでの日々を丁寧に送っている。死んでから前向きになるなんておかしな話かもしれないが、無にはなれず、私が私として変わらずここでも生きていかなければならないのなら、同じ道を繰り返したくはなかった。
 死んでも引っ越すだけだって、誰か教えて欲しかった。そしたら私、飛び降りなんかしないで現世で引っ越しをしたのに。あるいは何もかもを捨てて一人放浪の旅に出たのに。――そしたら真理子を、あんなに泣かさずに済んだのに。
 あの世への引っ越しは、絶望の言う通り一度荷物を全て手放した状態だ。人は一人では生きていけないし、生きていくためにはまた少しずつ荷物を背負っていくことになる。重い荷物を背負うためには筋肉が必要だから、ちょっとずつ無理なく鍛えていこうと思う。今度は荷物をおろさなくてもいいように。
 私がまた現世に引っ越すまでには、まだ時間がたっぷりあるのだから。

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