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自分が変化していくことは、時に大きな恐れが伴うけれど、この先の人生の光となる

私はここ数カ月で大きく変化した。家族や幼馴染のために生きていたことを手放し、病気に真正面から向き合い、幼少時代の私の蓋を開け、ネガティブな感情をありのまま受け入れ抱きしめ認めていった。すると、自分の好きなことやりたいこと、本質だと思っていたもの、信じていたもの、これまでの経験、内側にあるもの全てが崩れ去った。私には何もなくなった。無価値だ、「私なんて、、、」、自己否定、自己肯定感の低さ、私の中にはそんな感情だけになった。何もなくなった私はただ日々辛かった。わけもわからず泣く日々だった。

そのどん底の中、ある人の助言で私は何もない自分を愛することを日々徹底した。自分を愛することに慣れていなかった私は、自分を愛する言動に戸惑い、泣き、違和感だった。

何もない裸の自分を愛することは私にはとても難しくて、私は何度も自分の経験や才能という名の武器を持とうとした。そしてそれに気づく度に、武器を下ろし、また何も持たない裸の自分を愛することを試した。

続けていくと、自分が内側から満たされていくのを感じた。私の存在そのものが愛で、かけがいのないものだと感じるようになった。愛に枯渇していた私が愛に溢れた。私が存在する今が奇跡で、ありがたい瞬間だと感じるようになった。周りにも愛や感謝が心から湧くようになった。

そして自分の可能性を自分で信じられるようになった。

そんな変化の日々は暗く、辛いものだった。握りしめていたものを、手放し続け、自分が変化していくことで、大好きな場所が、もう自分にとっての居場所じゃないと気づいたとき、大好きな人たちを手放すときと気づいたとき、私は何度も変化することを恐れた。「なんで私は変わっちゃったんだろう」と自分を責めたり、罪悪感に包まれ、悲観したりした。変化すること自体を恐れた。変化する自分を受け入れられなかった。
「まだまだここにいたい、離れたくない」と自分の変化に蓋をして見ないようにしても、開けてしまった蓋を閉じることは不可能だった。違和感を感じ続ける日々は私自身をさらに苦しめた。変化をとめることは不可能だと知った。

覚悟を決めて、周りに伝えてからも、変化することへの罪悪感、悲観、不安、恐れ、寂しさ、戸惑い、格闘、自己否定に包まれた。周りからの目も気になって苦しんでいた。何度も自分に向き合い対話した。
自分を受け入れ続けていくことで、「人間は変化していくもの」と、変化を良い悪いのジャッチせず、そういうものだ、とありのまま受け入れられるようになった。そうすると、私自身少しずつ楽になっていった。

人は生きていく中で、変化し続けるものだ、と頭ではわかっていても、時にはその変化に恐れがある。でも恐れが付きまとう変化こそ、手放すものであり、この先の人生の大きな分岐点となるものであり、私の人生の財産や宝物になっていくと私は信じている。

変化していく日々を生きることは、痛みや覚悟や勇気が伴い、楽じゃない。
でも、きっと変化していく日々を受け入れて生きる方が、人生により一層深みが出て、愛情の温かさを感じられ、美しいものをより美しいと感じられ、人生の彩りを感じられる。私はそんな人生を歩みたい、と覚悟して、また一歩踏み出していく。


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