「歴史編9」平安時代③ 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!

縄文時代から大阪の陣まで・・・今回は「平安時代③」

前回の「平安時代②」では藤原氏の「摂関政治」についてふれました。

女の子が生まれる度に皇族のめぼしい男性に嫁がせ、誰が皇位に就いたとしても、「摂政」「関白」として政治に口出しできるシステム…

そんな時代が170年ほど続いていました。

その連鎖を断ち切った人がいます。

それが「後三条天皇」です。

藤原道長の子である頼道が娘を御冷泉天皇に嫁がせたのですが、天皇となるこどもが生まれなかった為、このときはじめて藤原氏と縁の薄い「後三条天皇」が誕生します。

この後三条天皇が、藤原氏が「摂政」や「関白」になっても口出しできないシステムを考えました。

それが「院政」というもの。

これは天皇をやめても「上皇」や「法皇」になるシステム。

会社でいいますと、社長を辞めて「会長(上皇)」になるイメージ。ちなみに出家したら「法皇」です。

そして「院」という場所で政治をはじめます。

このシステムを考えた後三条天皇の息子である「白河天皇」が天皇の位を譲って「白河上皇」になったことから「院政」がスタートします。

やっと、天皇が政治の中心になるのか!と思いきや、今度は天皇に「上皇や法皇」が口出しをするようになり争いに発展します。

ぶちきれてしまったのが「後白河天皇」(上の白河天皇とは別人です)

お相手は「崇徳上皇」

こうして、保元の乱がおこり負けた崇徳上皇は讃岐の国(香川)に

島流しにされてしまいます。

この時代に天皇や貴族はそれぞれが「警備員」をやとって武力で相手を押さえつけようとしていました。

その警備員というのが「平氏」「源氏」などの武士です。

その武士の中でトップにまでのぼりつめたのが「平清盛」

トップにのぼりつめたとはどういうことかといいますと清盛は「武士としてはじめて」貴族の最高位である「太政大臣」になり、武士が貴族を従えるような立場になったということなんです。

まさに平家の時代がやってきた!のですが、翌年、清盛は病気を理由に出家をします。

そして、今度は「藤原氏のような政治がしたい!」と自分の娘を天皇に嫁がせた。

娘の「徳子」を高倉天皇に嫁がせ、生まれた子どもを「安徳天皇」に。

しかし、流石に清盛さん‼やりすぎですよ〜!!と全国で平氏を抑えこもうとする声が上がる中で清盛は64歳(病気)で亡くなります。

清盛がいなくなると朝廷は力を持ちすぎた平氏が邪魔になります。

そこで、もう一つの武士勢力である「源氏」をけしかけて「平氏」を京の町から追い出す。

平家はわずか5歳の「安徳天皇」と正式な天皇のあかしとされる「三種の神器」を持って都を出ていき、再び兵力を整えて京を取り戻すべく神戸に陣をおきます。

一方、源氏は安徳天皇の弟「後鳥羽天皇」をたてて、三種の神器を奪還するべく平氏をねらう。

これが「源平合戦」のはじまりです。

平氏は西へ西へと追いやられ、わずか4年で壇ノ浦で平家は滅亡するのですが、この壇ノ浦で平清盛の娘のであり、高倉天皇に嫁いだ「建礼門院・徳子」要は安徳天皇のお母さんです。

徳子は敵方である「源氏」に海の中から助けられ「京都」に送られます。

尼となり過ごした場所が「大原」

ここで大原の人達がかつて皇后だった建礼門院に少しでも御所での高貴な暮らしを思い出してもらおうと、プレゼントした漬物が今では京都の3大漬物といわれる「しば漬け」です。

大原では古くから保存食として作られてきた紫の紫蘇(しそ)の葉の漬け物。

紫色は皇室でも最も高い位の身分の人が身につけることの出来る色です。建礼門院はこの紫色をたいそう喜び、紫葉(むらさきは)漬けと名付けたそうです。それ以降、紫葉(しば)漬けの名が定着したといいます。

また、話が少しもどりますが、平清盛が「太政大臣」にまでなることができたのがある神社のおかげだ!と言われています。

それが広島県の厳島神社。

ある日、一人の老人があらわれて「厳島神社を立て直したら出世しまっせ〜」という夢をみた清盛さん。

そこから、ボロボロになっていた厳島神社を少しずつ立て直していき、どんどん出世もしていきました。

それに感謝をして奉納したのが「国宝・平家納経」

ですので、清盛は厳島神社をたてた人ではなく「リフォーム
」した人なんです。

もちろん、清盛さんは「後白河天皇」に気に入られるのも上手だったんですね。

一つ、有名なのが京都の「三十三間堂」

元々は後白河天皇が「法皇」なり「院政」を行っていたお屋敷に建てられたものですが、この三十三間堂を建てるときに全面的に協力したのが「平清盛」でした。

長くなりましたが、「平安時代」はここまで。

次回は「鎌倉時代」です!

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