「歴史編14」戦国時代② 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日から使える!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!

只今、歴史編をシリーズでお届けしております♫

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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!

縄文時代から大阪の陣まで・・・今回は「戦国時代②」

前回の①では朝倉征伐まで話が進んでいました。

信長が朝倉攻めに行くためには妹のお市が嫁いでいる浅井長政の領地・近江を越えなくてはなりません。

お市が嫁いで同盟を結んだ時の条件が「浅井と古くから同盟関係にある朝倉には絶対に攻めこまない」だったのに、信長が先に約束をやぶってしまったんです。

しかし「妹の旦那だから、朝倉攻めを手伝わないにしても、まぁ無視はしてくれるだろう」と信長も考えていました。

ところが、どっこい!朝倉攻めに向かう途中で浅井が朝倉に味方をするという情報が入ってくるんです。

それが有名なお市が信長に送った「袋に入った小豆」

袋の両端が縄でくくられ、結びきりにしてある。

「陣中のお菓子になさいますように」とだけ文が添えられていましたが、これをみた信長は「わしが朝倉と浅井に挟まれ、この袋の中の小豆のように退路を断たれるということか」と妹からの精一杯のメッセージを受け取り、一旦は兵をひきます。

そして、今度は朝倉の前に立ちはばかる「浅井長政」から攻めることに。

これが1570年の「姉川の戦い」

浅井・朝倉連合軍の守る小谷城を織田・徳川連合軍が攻め、信長の勝利。

この時、負けた朝倉勢の一部が逃げ込んだのが「比叡山」

信長は「朝倉勢を引き渡せ!」と勧告するが、比叡山延暦寺の僧は一歩も引かない。

すると信長は比叡山を山ごと燃やしてしまいました。

これが1571年の「比叡山焼き討ち」です。

そこに、今度は戦上手で信長が最もおそれていた「武田信玄」が京都に兵を進めてくることに。

まずは、甲斐を出発してお隣の「徳川家康」の領地を通ります。

信長は家康に対して「信玄が通り過ぎるのを待てばいい。手をだすな」と言ったのですが、血気盛んな家康はじっとしていられず戦を仕掛けてしまいます。

これが「三方原の戦い」で家康は惨敗。

しかし、このあとに武田信玄は亡くなってしまい、信長は怖いものがなくなった〜!と、京の都から「15代将軍。足利義昭」を追い出し、235年間続いた「室町幕府」が終わりをむかえました。

このあと、信長に戦いを挑んだのが武田信玄の息子「勝頼」です。

この1575年「長篠の戦」で信長が使ったのが鉄砲3000丁!

負けた武田勝頼は甲斐に逃げ帰り、息子・妻と共に自害し武田家も滅亡してしまいました。

敵なしになった信長が琵琶湖のほとりにきづいたのが「安土城」です。

もう、天下統一は目前!というときに家臣の明智光秀が謀反をおこし、京都・本能寺に泊まっていた信長を襲います。

信長は「是非に及ばず」

用意周到な光秀の謀反なら逃げても無駄だ・・と、寺に火をつけて自害。

1582年の本能寺の変により、天下統一を目前に49歳で信長はなくなってしまいました。

さて、次に天下取りに名乗りをあげるのは誰なのか・・・?

今回はここまで!

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