「歴史編17」江戸時代 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日から使える!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!

只今、歴史編をシリーズでお届けしております♫

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縄文時代から大阪の陣まで・・・
今回は歴史編シリーズの最後「江戸時代・大坂の陣」

秀吉が亡くなり、着々と徳川の土台を整えていく家康にとってやはり邪魔者は大阪にいる「豊臣秀頼」

家康は生前の秀吉との約束通り、自分の孫の「千姫」と「秀頼」を結婚させて、親戚となり様子を豊臣を潰すうかがいます。

千姫は2代将軍・秀忠と江(信長の妹・お市の方の娘)の娘で生まれた時から政略結婚が決まっていました。

豊臣は徳川を恐れて朝廷から勝手に官位をもらったり、兵糧や浪人を集めだします。

これはほおっておけないと家康はまず秀吉の莫大な財産を使いきらせようとします。

秀頼に対して「お父さんのようにお寺を沢山つくったらどうです?♡」ととにかく豊臣にお金を使わせようとします。

豊臣をつぶしてしまいたい・・・
でも攻めるにしても何か理由がいる・・。

そこで理由に使われたのが、秀頼が京都の方広寺に寄進した「鐘」でした。

その鐘に刻まれた一文には「国家安康 君臣豊楽」とあります。

よく見ると中に家康という漢字が入っていますが、家康はここにいちゃもんをつけていくんです。

「なぁ〜にぃ〜家康という字を分断し、豊臣を主君として楽しむとはどういうことだ!!!」

と、クレームをつけたことをきっかけに「大阪 冬の陣」がおこります。

これには豊臣もびっくり!ですが、家康は大軍で攻めてきます。

このときすでに豊臣に味方をする大名も少なく、家康の圧倒的有利かと思われましたが、さすがは難攻不落の大阪城。

秀吉は自分が死んだ後に残される「淀(茶々)」と「秀頼」のことを思い、攻めにくいつくりにしていたことと(周囲8キロのお堀)、真田幸村の築いた出城「真田丸」に阻まれて、家康軍はなかなかお城に近づくことができませんでした。

しかし、家康が出してきたあるもので情勢が一気に変わります。

それがイギリスから輸入していた「大砲」

家康は「淀君がいるあたりに大砲を打て」と命令します。

自分のまわりに大砲が落ち、侍女たちが亡くなっていく。

二度の落城(小谷城・北庄城)を経験している淀は大パニックになり、なんと「徳川のいいなりの条件」で和睦してしまいます。

その条件の一つが「大阪城の”外堀”を埋めること」

外堀は一番外の堀だから、埋めても大阪城は守れると思っていたんです。

しかし、あれよあれよというまに外堀だけでなく「全部」の堀を埋められ、大阪城は丸裸の城になってしまいます。

豊臣方は「それは困る!」ともう一度、お堀を掘ろうとしていたら・・・

「軍備を整えている!!!」とまたまたいちゃもんをつけられ、今度は「夏の陣」で家康が攻めてきて、あっという間に落城。

大阪城はお城にとって堀が大切か?が分かる場所です。

負けた秀頼と淀君は自害して大阪城で豊臣は滅亡します。

ちなみにこの時、秀頼に嫁いでいた千姫は助け出され、のちに姫路城主となる本田忠刻に嫁ぎます。

そして家康自身も大阪夏の陣の翌年、駿府城で75歳の生涯を閉じました。

家康が征夷大将軍の位をさすがり、最後の将軍である15代・慶喜公が「政治の権利を朝廷に返します」=大政奉還を宣言するまで、徳川の世は264年間続きました。 

この徳川のはじまりと終わりの場所と言われているのが京都の二条城です。

二条城についても、県別・京都でご紹介します*^^*

さて、歴史シリーズはここまでになります*^^*
お読みくださいましてありがとうございました!

今後は県別や人物、寺社仏閣などをご紹介していきます!

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