「歴史編7」平安時代① 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日からつかえる!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!

只今、歴史編をシリーズでお届けしております♫

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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!

縄文時代から大阪の陣まで・・・今回は「平安時代①」

平安時代のはじまりは「鳴くよ(794) ウグイス 平安京」と覚えた794年!

第50代・桓武天皇がそれまで奈良にあった都を京都に移しました。

理由は「奈良の都ではお寺が力を持ちすぎた」から。

僧侶が政治に介入するようになっていて、それを遠ざけるために都を移すことに。

まず都をつくったのは今の京都市の西「長岡京市」

市の名前にもなっているように「長岡京」という都をつくっていました・・・が!建設の責任者が暗殺をされ、その犯人として疑いをかけられつかまったのが桓武天皇の弟。弟は無実をうったえ、食をたち亡くなりました。

その後、たたりと思われるような悪いことが続き、もう一度都を別の場所に移すことに。

この時!桓武天皇に「この場所が一押しですよ〜!」と、今の京都市中心部を遷都の場所にすすめたのが「和気清麻呂」(岡山県出身です♡)

こうして、もう一度都をうつし「永遠の京都」という意味を込めて「平安京」と名付けられました。

桓武天皇が京に都をうつしてから1869年まで歴代の天皇が住まいをかまえたことから、京都は「千年の都」と言われ、そして鎌倉時代までの約400年が「平安時代」

平安時代・・・長い!

ので、観光地につながる内容をざっくりいきます♬

まず、50代桓武天皇がおこなったことの1つに「蝦夷征伐」があります。

今の東北地方に「エゾ」とよばれる集団がいて、何にも悪いことはしていないのに、朝廷の言うことに従わなかったため桓武天皇が「軍」を送った。

その軍のえらーい人の役職が「征夷大将軍」

それを務めたのが「坂上田村麻呂」でこの人がとある出来事から殺生を悔い改め、建立したのが今、京都で人気の観光地「清水寺」

次に、平安時代といえば「密教」という考え方が入ってきた時代。

「本当の仏の悟りとは言葉では言い表せず、体得するしかない」

要は体験をして知るしかない!

その教えを伝えたのが「最澄」と「空海」

「最澄」は天台宗の開祖で京都の比叡山に延暦寺をひらき「伝教大師」と。

「空海」は真言宗の開祖で和歌山の高野山に金剛峯寺をひらいて「弘法大師」と。

この辺りのお話は「仏教シリーズ」で書く予定です♪

次に、平安時代でおさえておきたいのが「藤原氏一族」

藤原という姓は、飛鳥時代に中臣鎌足さんが天皇からプレゼントされた名前とご紹介しましたが、平安時代におけるこの藤原氏一族の権力争いは教科書にのるほど有名ですよね。。。

その権力争いから、全国の「天満宮」へと話がつながっていくので、大事なポイント!

次回の「平安時代②」に続きます♬

このブログのミッションは「勉強が辛くて大好きなバスガイドを離れる人を減らすこと」「バスガイドの仕事が大好きと言える人を増やすこと」

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