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二つの顔を持つ狐が、支流に立っていた。
狐は今にも死にそうな顔の消えかかった狐を連れ、立ち止まっている。
何故、顔が消えかかっているのか、私には想像が出来なかったが、ふと、花が枯れるように、狐は枯れてしまうのだという考えが浮かんだ。
今にも消えそうな狐を見ながら、私は水を探さなければと思っていた。

その水がどんな水であるのか、ほんの一瞬、狐が消える直前だけ知る事が出来たが、またすぐに分からなくなった。
片方の狐は白く、大きかったが、私の目を見て何かを伝えようとしていた。
それは、水に関する事だとすぐに気が付いた。
白く大きな狐が、上流の水の方向を教え、私は空の容器を持ち、山に向かう。
片方の狐は、それまでの姿を脱ぎ捨てるように顔の消えかかる狐を放ち、消えてしまった。

長いこと、私は狐が失った水を探していた。
水の無い道は熱く、危険に満ちていた。
大きな狐が教えた水の方向に進む。
それについて、僅かな記憶だけが頼りだった。

水を探している間、私たちは片側しか見えなかった。
そして、私の片側に狐がいることも忘れてしまいそうだった。
私たちが並んでいることすら見えないまま歩き続けているのを、予感だけが知っていた。
いつまでも片側しか描く事の出来ない絵を綴じ、幾つものアルバムが出来ていった。

私たちは互いに見る事の出来ない姿を巡らせながら、隣り合う世界について考えていたが、ある時、見る事の出来なかった方向に火の中で燃える百合をみた。
燃える百合は私の反対側で、私の顔を照らし、新しい道を示している。
熱く危険な道が続いていた。
私はあの日の水について、あの日の狐について尋ねたが、百合は何も言わず燃えるだけだった。
白い百合は枯れることなく燃えながら、川のようなうねりを創り出し、白い光を流していた。

やがて、百合は、あの日見た狐のように大きくなり、天井を包み込んだ。
私は暖かい大きな百合に包み込まれ、探していた水についてすっかり忘れてしまっていた。
あれほど長い時間をかけて探していた水について次第に忘れていったが、何故か寂しさが残っていた。
そして、寂しさが痛みに変わった分だけ、窓が開いていった。

私の真上には、美しい花弁の窓が出来た。
窓はほんの少しだけ開いている。

少しだけ開く窓が、窓の機能を果たしているのか分からない。
視界に向こう側が映る。
高い天井に少しだけ開かれる本のような窓だった。
開くたび、1ページ分を垣間見る。
全てを開いても、また閉めるのにどれ程の時間がかかるだろう。

幾つもの窓を開いている間、私は「何故、これほど暖かい場所にいるのか」、「何故、痛みを感じるのか」、「何故、この場所にたどり着いたのか」、あらゆることを忘れてしまった。

それでも、この部屋の中では窓を開く事しかすることがなく、ほんの少しの外側を見ながら、何かを探し続けていた。
窓を開くと、日が差し込んで暗い部屋に模様ができていった。
天井から部屋を覗くと、床にはいつの間にやら花弁の鏡が敷き詰められている。
その鏡は、部屋の中からは見ることはできなかったが、窓の位置からは見る事が出来た。
何かを思い出しそうな予感がしていた。
沢山の鏡が反射し、床いっぱいに模様が動き回っている。

光が差し込む瞬間、花弁の鏡は水のように溶けて、泉になった。
それは、夢の世界にいるかのように美しかった。
私は飛び込み、新しい模様のように水の中を泳いだが、泳ぐたび、目の前に白い狐が現れた。不思議なことに、いつも同じ狐だった。
狐は私に、水について話している。
それがどんな水だったのか、泳ぎながら、まるでパズルのピースを合わせるように記憶を繋いでいった。
いつかの、顔を無くした狐が私を見ていた。
その姿は枯れかけた花のように萎れながら消えていくが、泳ぐ水の中に降り注ぐように狐から水が溢れ出し、色とりどりの花弁が舞った。
消えかかる狐は、生まれ変わろうとしている。
そして私はついに、あの日探していた水の中を、たった今、泳いでいた事を知った。